一人アカデミー作品賞 あるいは(今後観る作品チェックリスト)

観ようと思っていた映画のタイトルを思い出せない病」を長年患っておりまして、確認用にタイトルリストを作成したのがはじまりです。
そのうちに「観た映画」も覚えてる範囲で記録するようになり、これ公開年別に整理したら後で面白いかな?と思い立ち、現在の形になりました。

せっかくまとめたので、なんとなく公開しています (偉そうに順位までつけてますが、個人の感想なのであまり気にしないでください)。
ご興味があれば「続きを読む」からどうぞ。映画を選ぶ際のちょっとした参考にでもなれば幸いです。

 

お前あの名作をまだ観てないのかよ」とか「これおススメですよ」って作品がありましたら、ぜひ教えてください。
タイトルだけでも結構ですので、そっとコメントしていただけると喜びます。

 

続きを読む

表現と誘導

よく、東大生は「勉強しろ」と言われたことがない…みたいなの聞くけど、
それは直接的にそんな表現をしなかっただけで、
親御さんが上手く誘導されてたのは間違いないと思うんだよね。

だから、東大卒の人の
『今考えたら、親に上手く誘導されてたな…と思うのはどんなこと?』
ってのが知りたい。

低学歴親「数学勉強しろ」
一般大卒親「数学をやるとできる仕事の幅が広がるよ」
東大卒親「線形代数って多くの事象のモデル化に広範に役立つよね」

(Willy OES)

人生の真の勝者は老害

僕は人生の8割ぐらいの期間は、幸福とは何かを考えていた記憶があるので、
むしろ専門は幸福論と言ってもいいんじゃないかと思うんですが、
いくつか得た結論を書く。

・ 幸福とは何かを考えている時点でそいつは不幸。

・ 成功者のほとんどは不幸(に見える)。

・ 幸せなのは自分の世界を作っている人。
  お山の大将や井の中の蛙
  内部でパワハラとかしている例も多い。

・ 成功者は引退すると、ほぼ例外なく不幸。

・ 成功者で幸せになるのは、セミリタイア。
  権力だけ握って、一線から離れるパターン。

結局、成功者って対等な友達を作るのが難しいので、構造的に不幸になりやすい。
特にお金が入って生活レベルを上げると、それまでの友達がいなくなる確率が上がる。
(ちなみに僕は友達が特にいなかったので腹いせも兼ねて贅沢をすることにしてます)

しかも成功者って競争社会のゲームの中では、もっとすごい成功者がだいたいいるので、
優越感もあったりなかったりでそんなに増えない。

成功者が引退すると不幸になるのは、自分の周りの人も一緒に引退するわけではないので、
人間関係が一挙に消えるから。

なので、成功して幸せになるためには競争ゲームから降りつつ、
しかも自分が優越感を感じられる世界を維持することが大事で、
そうなるとセミリタイアして権力だけ維持するというのが最適解になる。
つまり老害のことですね。

老害って呼ばれる人って、だいたい長生きで元気なんで、
本当に健康や寿命に影響が出るぐらいにストレスなく幸せなんだと思います。

なので、みなさん成功者を目指すだけではなく、さらにその上の老害を目指しましょう。

人生の真の勝者とは老害です。
なるのは大変ですけど、なる価値はあります。

川上量生

寛容のパラドックス

「寛容のパラドックス」については、あまり知られていない。
無制限の寛容は確実に寛容の消失を導く。

もし我々が不寛容な人々に対しても無制限の寛容を広げるならば、
もし我々に不寛容の脅威から寛容な社会を守る覚悟ができていなければ、
寛容な人々は滅ぼされ、その寛容も彼らとともに滅ぼされる。

この定式において、私は例えば、
不寛容な思想から来る発言を常に抑制すべきだ、
などと言うことをほのめかしているわけではない。

我々が理性的な議論でそれらに対抗できている限り、
そして世論によってそれらをチェックすることが出来ている限りは、
抑制することは確かに賢明ではないだろう。

しかし、もし必要ならば、たとえ力によってでも、
不寛容な人々を抑制する権利を我々は要求すべきだ。

と言うのも、彼らは我々と同じ立場で理性的な議論を交わすつもりがなく、
全ての議論を非難することから始めるということが容易に解るだろうからだ。

彼らは理性的な議論を「欺瞞だ」として、
自身の支持者が聞くことを禁止するかもしれないし、
議論に鉄拳や拳銃で答えることを教えるかもしれない。

ゆえに我々は主張しないといけない。
寛容の名において、不寛容に寛容であらざる権利を。

カール・ポパー

開かれた社会とその敵 プラトンの呪縛(上) 第一巻 (岩波文庫 青N607-1)開かれた社会とその敵 プラトンの呪縛(下) 第一巻 (岩波文庫 青N607-2)

開かれた社会とその敵 にせ予言者―ヘーゲル,マルクスそして追随者(上) 第二巻 (岩波文庫 青N607-3)開かれた社会とその敵 にせ予言者―ヘーゲル,マルクスそして追随者(下) 第二巻 (岩波文庫 青N607-4)

遅れてきた中二病

もともと僕は「三国志」なんですよ。
出発点を振り返ると、やっぱり三国志だなと思って。
小学校の頃、三国志にひたすらハマってずっと読んでいたから。

キャラクターで言ったら、「徐庶(じょしょ)」がすごい好きで。
徐庶っていうのは、劉備軍に初めて来た軍師で、プラプラしてたのを劉備に拾われて、
一通り活躍して、「諸葛亮孔明」を紹介して去っていくっていう。
その間のキャラなんですけど。

なんか徐庶の生き様が、なんていうのかな、三国志ってスーパーマンが多いじゃないですか?
自分でもここだったら行けるかもしれないみたいのを感じて、子供心に。

徐庶はぼちぼち優秀だけど、めちゃくちゃ飛び抜けてはないけど、
でもちょっと反骨心があって、元々いた組織というか場所から飛び出て、
諸国を放浪しながら勉強して、まぁ劉備だったら仕えてもいいかって思って、
自分がある程度まで行ったら、ここから先は俺 無理だからって言って、
もっと優秀なやつ連れてくるみたいな。

これぐらいだったら、凡人でもいけるかもしれないラインだなと思って、
ずっと意識してて。

経産省を辞めた理由にもつながるわけですけど、東日本大震災あったじゃないですか。
あの時、社会が色々混乱している中で、この時こそ徐庶じゃないかと思って。

これから乱世が来るみたいな感じで、だから俺も世の中に浪人として放浪して、
いつか仕えたいと思うような君主を見つけて、そこで活躍するんだみたいな。

そういうのをなんか勝手に盛り上がっちゃって、「遅れてきた中二病」って言ってるんだけど、
当時盛り上がって、1年半ぐらいかけて残務こなして辞めて、本当に放浪して今に至るみたいな感じ。

肝心の君主が見つかっていないみたいな、そういう状態ですけどね。

(宇佐美典也)

自分の基礎を作った本

「職業としての政治」いいですよね。

僕は「職業としての政治」と「市民政府論」の2つかな。
あとあれだ、「法の精神」。

この3つがやっぱり感動しましたね。

マックス・ヴェーバーは「官僚とは何ぞや」みたいな、そういう世界観を形作った人で、
「市民政府論」のロックという人は、「人権とは何か」みたいなものを作った人で、
自分の活動から生まれたものは自分の権利であるみたいなことを理論づけた人。

モンテスキューの「法の精神」は、これはめちゃくちゃ長いんですよ。
ただ、いろんな過去における政治体制の交流の歴史を綴っていて、
ギリシャ世界で民主制というのはいかに崩壊していったかみたいな、
衆愚政治にどう飲まれていったかとか、そういう話を書いていて。

ほんと世界中を見ていて、日本も結構出てるんですよ。
で、日本に対する指摘は結構今でも的を射てる。

日本っていうのは、法律よりも社会からの罰のほうが強いと。
社会からの罰というか、倫理的に追い詰めた結果、最終的には切腹するのが
美とされているみたいな。

そういう社会では、法律よりも世の中の目の方が高い倫理になるから、
法がちゃんと機能しないとか書いていて。

確かにそういう側面は今でもあるなと思って。

この3つは学生時代に読んでホント良かったなと思って、
それもあって官僚を目指したって感じですけどね。

(宇佐美典也)

 

職業としての政治 (岩波文庫)市民政府論 (光文社古典新訳文庫)法の精神 (中公クラシックス W 86)