アカデミー賞という舞台で感じたことは両面、ある。
3週間、滞在して、いろいろな方にお会いした。本当にケタ外れな世界。
自分の持っている尺度が通じないというか、予算規模が全く違う世界で仕事している。
共通言語を持っているのだろうか?予算のことを言うと、申し訳ないけれど『えっ、そんな予算で映画、作れるの?』という感覚で向こうは話してくる。
そう言われてしまうと、頑張って作っていますと言うしかない。全くスケールが違うのが1つ。
段階的にでも自分のスケール感を調整しなければいけない。
監督の方々と話していると、スピルバーグ監督もポール・トーマス・アンダーソン監督もそうですけど、
パーソナルなものに根差して作っている。
個人的に映画から受けた喜び、人生で味わった傷を、どう作品に昇華するかを自分自身から考えている印象がある。
その点は変わらない。後輩たちに一体、どういう指針になるか分からないけれど、日本でやるってことを考えると、
自分たちの個人的な、パーソナルな思いから出発するところは全く間違っていないし、作り続け、届け続ける。
おそらく、むしろ唯一の方法なのではないか?
これは、はっきりと言わなくてはいけないと思いますけれども、現代の日本映画に対する関心は基本的にないと思います。
素晴らしい日本映画はあったね、と語られることは、とてもたくさんありますけども、
現代の日本映画が米国で知られているかというと、是枝さん(是枝裕和監督)は別ですけれども
注目されているとは言えない状況なんだなと実感しました。
アジア映画全般に対する関心は、どうも高まっているらしいという感じは、現地の方からも聞いています。
米国の観客の目線は今、アジアに何か面白いものがあるんじゃないだろうかという目線で探していると言っていました。
それが日本に向かっているというわけではないと思うんですけども、観客の好奇心を貫くような作品が出てくるということを願っています。目線は向けられている。
あとは本当に、その目線に応える作品が、あるかどうかということだと思います。
(濱口竜介)