えーと、親友をなぜ作りたいと思うのか、によると思うんですよ。
「親友がいないから、親友がいるという状況を作りたい」っていうのが多分
若い人にありがちなやつで、別に大学卒業したりとか、高校卒業したりすると
そいつと全然連絡取らないっていうのがあったりするんですよね。「仲が良い友達がいるよ」「俺友達がいないわけじゃないよ」っていうのを
自分だったり周りの人に見てもらいたいっていうのが理由で、
友達を作りたがる人がいるんですけど、それは親友じゃないっす。
単にアクセサリーなんですよね。
要は、「LGBTQに理解のある私」的な人が、LGBTQの友達が欲しいよねとか言ったりするんですよ。
友達がLGBTQである場合はあるんですけど、LGBTQの友達を作りたいよねっていう時点で
何すかそれ、アクセサリーですか?っていう。外人の友達欲しいよね、みたいな。
仲の良い友達が外国人でした、はあるんですけど、
「外国人の友達を連れている私を見て欲しい」みたいな。人間をアクセサリーのように見るっていうのはどうかと思うんですけど。
なので、親友を作りたいっていうのが、何のために必要なのかが明確じゃないと、
それはアクセサリーとして人を求めているっていうことになっちゃうと思うんですよね。本当に仲の良い友達が30過ぎてからできる人もいるし、
別に10代の頃の友達がずっと続いているっていう人もいるので、
高校生だったら、別にまだ親友いなくてもいいんじゃないかなと思いますけどね。
で、親友とはなんぞやっていう話になると思うんですけど、一応僕区分けをしていて。
「知り合い」と「友達」と「親友」っていう3つの区分けをするとして、
知り合いは、知ってる人、会話をする人、雑談をする人。友達は、お互い無言でも気にならない人。
2人きりの時にお互い無言だと気まずいっていう人は、僕はそれは友達ではないという認識なんですよ。
なので友達になると、ボーっとまったく喋らない状態で、別々にソシャゲやってるとかが許されるみたいな。
お互いダメ出しができるとかも多分、友達に近いと思うんですよ。
気を使う必要がない。要は気を使わないと、この関係性が壊れてしまうとか、相手が不快になってしまうのが知り合いで、
友達になると、別に不快になってもいいんじゃね?って思ってるんですよ。相手が不快になったり、相手の思い通りにならなかったとしても、
別に関係が壊れないよねっていうのが多分友達で。
で、僕の親友の枠でいくと、僕が犯罪をしたときに匿ってくれる人っていうのが、
親友になるんですよね。
要は、自分のために損をしても良いという判断をしてくれる人。基本的には僕は犯罪はしませんよ。
ただ、人間関係で「コイツと付き合ってると損だよね」とか、
「うわこれはめんどくせぇよね」ってなると、
「いやいやこれ以上は無理っすよ」っていう人もいるんですよ。そこで「腐れ縁だし、もうコイツが言うんだったら仕方ねえわ、じゃあ俺も損してやるよ」
っていうのが言えるかどうかっていう。で、それは「相手がそれをやってくれるから」親友っていうのじゃなくて、
「相手がそれを求めたときも自分がそれができるかどうか」って話だと思うんですよね。
(西村博之)