お前さん。パタヤって知ってるかい?タイの南国の楽園だよ。
ビーチがあって、酒があって、夜の女がいての歓楽街だ。そこに集まるのが、「ファラン」、欧米の白人連中だ。
特に男どもが多いんだが、どうにもこうにも、自殺する奴が後を絶たねえって話だ。なんでだと思う?ちょっと耳を貸してみな。
まずな、パタヤってのはヤツらには夢の国なんだよ。
ヨーロッパやアメリカでブルシットな仕事して、寒い冬に震えてたジジイどもが
「もういい加減、南国で楽に暮らそうぜ」とばかりにやってくる。
家売って、年金握り締めて、ビザ取って、コンドミニアム借りて、若い女とイチャついてさ。最初は天国だよ。
「こんな暮らしができるなんて!」ってね。
ところがだ、人間ってのは慣れる生き物だ。
楽園も毎日続くと、飽きちまうんだよ。で、そこからが問題だ。金は減る一方だろ。年金だって無限じゃねえ。
ネエちゃんに貢いで、酒飲んで、パーティーしてたら、あっという間にスッカラカンだ。しかも、パタヤに沈没しちまったファランは、母国に帰るって選択肢がねえんだよ。
家は売っちまったか、もう縁も切れてる。友達も家族も遠く、彼岸の向こうだ。
孤立無援ってやつだな。
それだけじゃねえ。健康もガタがくる。歳取ってりゃなおさらだ。
暑い気候、酒の飲みすぎ、女遊びのしすぎでドーピングの薬も飲み過ぎ、
心臓はボロボロ、肝臓は悲鳴を上げてる。病院行っても金はかかるし保険も高ぇ、先天性の病気抱えてる奴も少なくねえ。
そこに精神的な疲れが重なるわけだ。夢見てきた楽園が、だんだん牢獄に見えてくるんだよ。
でさ、有り体に言やあ、こういう連中は「生きてる意味を見失っちまう」んだよ。
母国じゃ仕事や家族でなんとか自分を保ってたのが、パタヤじゃただの浮浪者同然だ。
誰も褒めてくれねえし、誰も頼ってこねえ。寂しさと絶望がじわじわ首を絞めてくる。
それで、ある日ふっと、「もういいか」ってなる。
バルコニーから飛び降りたり、首吊ったり、銃で頭撃ったりさ。統計なんざねえけど、新聞じゃしょっちゅう「ファラン男性がまた自殺」って見出しが出るんだ。
さらにだ、パタヤってのは刺激が強すぎる街だぜ。
昼夜問わず騒がしくて、ネオンがギラギラしてて、感覚がおかしくなる。あの喧騒の中で孤独に飲み込まれるんだから、なおさらだ。
享楽の果てに虚無が待ってるってわけ。お前さん、享楽ってのはな、ほどほどにしとかねえと命取りなんだぜ。
結論言うと、パタヤでファランが自殺するのは、
「夢の崩壊」と「孤立」と「現実逃避の限界」が合わさった結果だよ。楽園に逃げてきたつもりが、結局自分からは逃げられねえんだ。
人間、どこ行っても自分背負ってんだから、逃げ場なんざねえよ。
笑えねえ話だな、おい。って昨日アイリッシュバーで隣に座ったおじいちゃんが言っていました。
(もっさん)
「幸せとは目的地では無い。幸せとは人生という旅の仕方だ」という言葉があります。
その場で幸せに生きられる人も居れば
お金でパタヤに行って身を持ち崩す人も居る。人は何か(友達、恋人、家族、子ども、会社、世の中など)に貢献してる実感があるのが幸せ
という説も強いようですね、、
実際に現地に行ったことがありますが、まさにこのような欧米人がたくさんいました。
楽しそうにしていた背景には、このような感情があったんですね。
大学生の頃、パタヤに行って衝撃を受けました。
おっしゃる通り、白人の爺とへ若い現地の女の子のカップルだらけで、
スーパーのレジにはコンドームが置いてありました。
悲しい話です。
3泊すると帰りたくなくなる、4泊と人生変わる、2泊で帰るのが賢い奴、
とベロンベロンに酔っ払ったタイ人に言われたことあります。地元の兄ちゃんの本心だと思ったので2泊で帰りましたが、
泥沼の深みがチラホラ見えたりする不思議で楽しい街でした。
30年前くらいにシラチャシティホテルを定宿にしていましたので、パタヤには何度も行きました。
あの街はベトナム戦争の兵士をタイの女性で慰安するために、
アメリカがアメリカ風に建設した街だと聞いて、いろいろと納得することがありましたね。
僕の地元である沖縄県でも同じようなことが起きそうだと思いました
マニラと全く同じで不覚にも 笑ってしまいました。
南国の楽園は、死に場所なんだ!
昔、栗本薫先生の小説の中で
「~北方の人は助け合わないと死んでしまうからよそ者にも優しいが、
南は果物はあるし野宿しても死なないため結構、困っている人がほおって置かれる(大意)」という描写があって、それも孤独を加速させるのかも知れませんね
ゴーギャンは強かった
「地獄は地の底にあると言われてるが、実際には頭の中にイメージという形で存在してる。
だから誰も地獄からは逃れられない」好きな小説の言葉です
身体が天国にあっても、痛みすら感じなくても、
想像という形で地獄に入り込めてしまうのが人間ですからね
「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、
遊ぶ"老爺"の声聞けば、我が身さえこそ揺るがるれ」「人は誰しも二つの人生を持つことができる。
遊びはそのことを教えてくれる」人生の合間に楽しむのが遊びであって、遊びを日常にしちゃお終いなんだよなあ……
死は一番高くつく遊びなのだ。
刹那的な快楽や刺激では魂は救われないから、
人は植物を育てたりペットを飼うんだよねって隣のマックのJKが言ってた
親戚と切れてて孤独なのがいけないと思った。
昔国内の離島で観光してた時に
普段は横浜に住んでるけど、その離島に家買って月1回家族と遊びに来る
っていう経営者の方がいて、めっちゃ幸せ満喫してたよ。パタヤのおじさん達も、現地に奥さんができた人とか
母国の友人達と切れてない人は大丈夫と思った。
日本にいても、そうなのかもしれませんね。
しがらみを捨てた先には「本当の自由はない!」って事なのかな?
なんとなく「そうじゃないかな?」と感じていましたが、それが確信に近くなりました。
そして隣にいた日本人が語り出す。
「日本には、『浦島太郎』っていう昔話があってな…、」
人は楽園では生きていけない因果な存在ってことか。
サマセット・モームの短編にそんな話あったな。
ベルセルクにあったな。
「逃げ出した先に楽園なんてありゃしねぇのさ」
ホテル・カリフォルニアが聴こえてきました

