「褒めて伸ばす」の分解

(「褒めて伸ばす」というのは甘えなんですかね?)

本当は「褒めて伸ばす」っていうものじゃないんですよね。
褒めて伸ばすんじゃなくて「その人が再現すると成果が上がりそうな行動に促す」なわけですよ。

褒めるっていうのはちょっとせっかちな自己肯定をしてるだけなんですよ。
「あなたはそのままでいい」っていうのは、せっかちな自己肯定感を作ってるだけだから
本当のその人のためになるかって怪しいですよね。

熟成された自己肯定感ってのは、習慣から生まれるものだから。
いい習慣をつける手伝いをするってことはやった方がいいと思いますけどね。

(ああ、なるほど。だから、褒めろじゃなくて「フィードバック」ですね)

フィードバックですし、日本語にはいい言葉があると思うんですけど、「ねぎらい」と「いたわり」ですよね。
褒めとねぎらいといたわりってちょっと違うじゃないですか。

ねぎらいっていうのは、「本当にこんな大変な原稿を作成してくれてありがとう」と。
「ものすごい負荷かけちゃったかもしれないけど、それをやりきってくれて本当ありがとうね」
っていうのはねぎらいじゃないですか。

【ねぎらい・・・大変な仕事をやりきってくれてありがとう】

で、いたわりっていうのは「今お前 1 人でちょっと原稿作らせちゃってごめんね」みたいな。
で、「これ僕もちょっと手伝うから、一緒にやろうか」っていうのはいたわりじゃないですか。

【いたわり・・・負荷かけてごめんね、一緒にやろう】

だから、褒めっていう言葉にぎゅっとしすぎてて。
褒めじゃなくて、「フィードバック」と「ねぎらい」と「いたわり」っていうところを分解しないと。

なんかとりあえず褒めてりゃいいだろうみたいな、せっかちな自己肯定社会が生まれてるから。
なんかほんとそれいいの?と思うけどな。

(ああ、「いいね」で終わって、そっから何もないですみたいな)

うん、ない。

だから僕、娘がデュプロっていう子供用レゴみたいなのを作ってる時とか、
「すごいじゃん!」で終わらせたら、娘はかわいそうじゃないですか。
 だって3 時間かけて作ってるんだもんって思って。

「お、すごいじゃん。これどこ工夫したの?」って言ってあげたり。
「これママにも見せようよ」って言うとか、「これおばあちゃんも見たいから写真撮ろうよ、
これすごいから」って言うからこそ、ちゃんと まだ見てるなっていう気はするんですよ。

僕からするとそのデュプロは10分で作れるかもしれないけど、娘は1時間かかる。
でもその1時間の中で、娘が工夫したっていうことが価値なのであって。

それを見てあげないっていうのは、褒めだけども、
ねぎらいでもいたわりでもフィードバックでもなんでもないと思ってるから。

本当に私、やっぱ娘がこういう創造性を働かせて良かったなっていうか、
そこに自信を持ってほしいから、そこまで伝えた方がいいと思ってるのですが、
それはやっぱ娘だからやるっていうのはあるけど、

本当の本当にその人の才能を開花させようと思った時とか、いろんな苦労してるってことを
分かってあげようと思ったら、簡易的な褒めにはしないはずだと思いますけどね。

だから僕はあんまり褒め褒め社会みたいなところとかは薄いなと思う。
それって本当には人と向き合ってないなと。
褒めてる自分をいいって思ってるだけで、自分に対する簡易的な自己肯定を得てるだけだと。

(酒井風太