青天の霹靂だった。
突如、プラス・マイナスが終わった。相方が、吉本興業との契約を解消になったのだ。
それと同時にプラス・マイナスも解散になった。
「兼光ごめん、ありがとでした。
吉本、芸人辞めます。お疲れ様でした」という相方の投稿を目にした。
『はっ?聞いてへんて』
けどまぁまぁどうせまた思いつきで言ってんねやろと思っていたが、
しばらくして「ごめんな、やめるわ
今までありがとう
がんばって」というラインが相方からきた。
ラインで返信どころではない。
すぐに電話をかけたが、出なかった。でもSNSは続けて投稿している。
「プラス・マイナスも解散です」
と投稿している。
いやいやいや、ちょっと待てよ、
また電話をかけてもでない。あのラインが彼との最後の連絡だった。
んな一方的で身勝手なことある?
21年コンビを組んでて、ライン1通で終わりって、、寝耳に水だった。
寝耳に水どころか、寝耳に硫酸ぐらいだ。会社の偉いさんから電話がかかってきた。
「岩橋さん契約解除となりました」
相方が散々会社に迷惑をかけてきたので、
もう『分かりました』というしかなかった。
次はマネージャーからの電話で、
「岩橋さんの吉本契約解消を明日発表するのですが、
プラス・マイナスさんも解散なのでしょうか?」と聞かれた。
唯一相方と連絡が取れていたのがマネージャーだった。契約解除は確定だけど、解散は確定ではないかもしれない。
『聞いてみてくれへん?』
とマネージャーに頼み、電話を切った。
するとすぐにマネージャーから電話がかかってきた。
「岩橋さんは『解散で』と言ってます」
じゃ、じゃあ解散で、、、
あまりにも呆気なすぎる。
プラス・マイナスが可哀想過ぎる。
兼光が可哀想過ぎる。怒りと悲しみと切なさと悔しさが入り混じった
『何でなん、、』という言葉を口にしていた。それと同時に、肩の荷がおりたのも事実だった。
もうダメ出しもないし、ネタ合わせもない。
コンビのことを考えなくてもいい。『21年間よくやってきたよ。お疲れさん』
と自分に言ってあげたい。
少し楽になったという感情も束の間、
これから先、どうしよう、、ほとんどの収入源が漫才で、漫才以外のロケやテレビも
ほぼコンビで活動してきた。仕事はどうなるんだ?
一気に不安が押し寄せてきた。案の定、次の日の仕事、劇場11ステージは全部無くなった。
それどころか、その先の仕事も一旦、全部無くなった。
残ったのは1年2ヶ月前に買った家のローンだけだ。
残り34年、79歳までお金どうしたらええねん。更には、解散して1週間後に、2年4ヶ月待った車がきた。
火の車が納車された。まだある。
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
妻は安定期に入ったが、僕は不安定期に入った。こんなに重なることある?
しかし、そんな不安をよそに、
解散した次の日から続々と仕事が入ってきた。皆んな本当に優しい。
周りに恵まれてるなとつくづく感じた。ピンでの仕事を始めて数日がたった。
なんて気が楽なのだろうか、なんて楽しいのだろうか。
良いも悪いも全て自分。特段プラス・マイナスの仕事が嫌だったわけではないが、
今までやったことのない仕事をしたり、1人での新鮮さもある。
SNSでは、芸人やファンの人やそうでない人、色んな人が好き勝手言う。
絶対に解散させないだとか、
兼光も吉本やめて2人でフリーになればとか、
吉本に謝って、またプラス・マイナスの漫才見せて下さいだとか。良かれと思って、
プラス・マイナスの事を思って言ってくれてるのだろうけど、
僕からしたら『ふざけんな!』だ。
振り回されすぎだし、無責任にも程がある。
こんな身勝手な終わり方は絶対に納得いかないし、許せない。解散させまいと思っていた人も、この事を言うと皆んな我に返ったように、
「そらそうよな、オレやったらブチ切れてるわ」と口を揃えて言う。僕はもう切り替えて前に進んでいる。
生きていかなければならないのだ。
大切な家族を守らなければならないのだ。これからの兼光タカシに期待して下さい!
(兼光タカシ)