一人アカデミー作品賞 あるいは(今後観る作品チェックリスト)

観ようと思っていた映画のタイトルを思い出せない病」を長年患っておりまして、確認用にタイトルリストを作成したのがはじまりです。
そのうちに「観た映画」も覚えてる範囲で記録するようになり、これ公開年別に整理したら後で面白いかな?と思い立ち、現在の形になりました。

せっかくまとめたので、なんとなく公開しています (偉そうに順位までつけてますが、個人の感想なのであまり気にしないでください)。
ご興味があれば「続きを読む」からどうぞ。映画を選ぶ際のちょっとした参考にでもなれば幸いです。

 

お前あの名作をまだ観てないのかよ」とか「これおススメですよ」って作品がありましたら、ぜひ教えてください。
タイトルだけでも結構ですので、そっとコメントしていただけると喜びます。

 

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コンテンツと俺の掛け算は俺だけのもの

小学生のとき、二千時間くらいやってたゲームがあってさ。

その二千時間は嫌なこと全部忘れて没頭できて
二千時間分 俺の人生を塗り替えてくれた
夢のような時間だった。

最近ふとそのゲームのことを思い出してネットで調べてみたらさ、
「世紀のクソゲー」って評価がついてたんだ。
「やる価値なし」ってさ。

俺はクソゲーに少年時代の二千時間を費やしたんだ。
事前にそれを聞いてたらやってなかっただろうな。

・・・そしたら、
俺にとって宝物になったあの時間を・・・
貴重な経験を全部失ってた。

今でも気になるアニメやゲームの情報を調べるとさ、買う前から星1とか書いてある。
観る前から「観る価値ない」「時間を無駄にした」とか書いてあるよ。

それでも俺は買ってやってみるんだ。
映画館に観に行くんだ。

そのアニメが、そのゲームが、他人から見てどんな物であっても、
その「体験」は、コンテンツと俺の掛け算は、俺だけのものだから。

2.5次元の誘惑)

大臣になると手取りが減る

大臣になるとね、手取り減るんですよ。

我々は衆議院議員で、歳費っていうのをもらってるじゃないですか。
大臣になると、それで足りない分が担当する省から補填されるようになるんです。

ところがね、今は国に2割寄付するというルールになっているので、
私は当然この加わる部分の2割だと思っていたら、根っこからの2割なんで、
この加わる分よりも2割のほうが大きい(笑)

(なんのための制度なんですかそれ)

それはね、財政再建に協力するとか、いろんな趣旨があるんでしょうけど・・・

だから結局、加わる分よりも減る分のほうが大きくて、大臣になると手取りが減る。
これ本当の話だから(笑)

(信じられないですねw 俺だったらならないっすよそれ)

私もね、信じられないんだけど、そうなんです。
今日は是非みんなに理解して欲しい。
大臣はそんなにね、あの・・・

(美味しくはないと、お金だけ見れば)

まぁ金銭的には全然美味しくないでしょうね。

齋藤健

考え過ぎると、煮込み過ぎて焦げた料理のようになる

恋愛は、誰しもが絶対にしなければならないものではない。
恋愛をしたくないとか、興味がないのであれば、一生しなくても構わないこと。

すべてを相手にさらけ出す必要はありません。
相手の方も、あなたにすべてをさらけ出しているとは限らない。
さらけ出すどころか、偽ってる方もたくさんいらっしゃるんですよ。

恋愛をしたい相手がいるのであれば、ご自身がしたいような恋愛をすればいい。

(自分の時間も大事にしたい)

とってもよく分かります。

会いたいときに、会いたい人と会って、したいことをする。
会いたくない人には会わない。
そういう風に、自分の人生の選択の時間は、とても大切に考えていて。

ご自身の人生はご自身だけのものですから、それを大切にして。

考え過ぎると、お料理を煮込み過ぎて焦げちゃったみたいになるので。
もっと軽く考えて、もっと自由に生きていくのはとても心地いいことです。

叶恭子

支援力 = 想像力 × 推察力 × 整理力 × 確認力 × 行動量

支援において「環境」を調整する事はとても重要なんだけど、
そもそも支援の環境があまりに日常とかけ離れてしまう、つまり非日常的になってしまうと、
たとえその中で出来ることが増えてもそれは限定的なものになってしまう。

支援をするための環境、って本当は非日常であるって事を
支援者は一番理解しとかないといけない。

支援においてもマネジメントにおいても同じことが言えると思うんだけど、
失敗しないように、上手くいかせるために手を出すのも引っ張るのも時には必要だけど、
そこで得られるものと失ってるものは見誤ってはいけない。

上手くいかない経験は大事な成長機会。

対人支援においても「何を言うか」よりも「何を言わないか」の選択の方が大事。

そんな毎日次から次へあれやこれや言われたら
からしたらいいか分からなくなるし、誤解や齟齬が増える。

伝える事は本当に絞る。 

 社会の枠組みにはめこむことや、
「優しさ」と名付けて見過ごすことが支援ではない。

社会の枠組みを知った上で、
その中でどうやって生きていくかを探して見つけていくのを
サポートするのが支援。

支援力って多分「想像力×推察力×整理力×確認力×行動量」。

(サトウマサカズ)

「考える」の用い方

あれもこれも手に入れようとすればそりゃ当たり前に難易度は上がる。
手に入れるものを絞り込んでそこに集中的に自分の力を注げば大体なんとかなる。

気がつけば本来手にしたいものの他に条件をたくさんつけちゃって
難しくしてる事って意外と多い。

予期不安とか「もしも」や「かもしれない」リスクに自分の主観など、
考え込んで考え過ぎて生きづらくなったり生きる事を難しくしてしまったり。

「考える」事が自分の足を引っ張るのは、考える事が問題なんじゃなく
「考える」の用い方の問題。

(サトウマサカズ)