議論をすることに意味があるのは条件があって、それは合意形成を目指している時だよね。
それ以外の議論は基本的に意味がない、っていうのはジャン・ジャック・ルソーがフランス革命前に既に言っていることだ。それは結局、わかりやすくいうと動員、モビライゼーションのために、リソースを持ってる奴が勝つっていうことでね。
だから彼は、大規模な社会での民主制っていうのを否定したわけだよね、直接民主制を肯定したわけじゃなくて。小規模じゃないと、社会のみんながどういう状態になっているかを想像できて、しかも気に掛けることができない。
そうすると、損得勘定で釣られる。
釣ることができるのはリソースを持っている奴だけ、っていうことが起こる。
僕の考えというのは、メタバースとの綱引きなんですよ。
で、結局ね、マスは絶対メタバースに飲み込まれていきますよ。
そんなの良くない、と言ったところで無理。
だってもう飲み込まれてるもん、僕の子供たちとかさ(苦笑)そうすると、数は少ないかもしれないけど、メタバースの外で、自分たちの生きがいとか、
あるいは実存的本質を追求するような人間たちを少しでも残すと。だってそうしないとね、たとえばね、加速主義者、あるいは・・・要するに中国の権威主義、
あるいは加速主義者の新しい権威主義にしろね、彼らが気候変動に対応すると思いますか?
たとえばね、極端な話、人口撲滅作戦っていうのを遂行する可能性もあるよ。
気候変動を利用して、様々な自然災害をむしろ放置して、人口が減ると。で、ディープエコロジストが言っているように、人類が永く生き残れる水準である
6億人程度まで人口を減らすなんていう計画をね、立てたりする可能性もあるのに、
なぜ人はそういう権威に任せることができるんだろう。僕は嫌だね。
(宮台真司)