「権藤、権藤、雨、権藤」

中日には権藤しか投手がおらんのか。
権藤、雨、移動日、権藤、雨、権藤や。
つぶれてしまうぞ。

堀本律雄

権藤は九州男児だから大丈夫。

濃人貴実

しなやかで弾力的な足腰を使ったフォームで、
おそらく150キロを超える直球を投げていた

木俣達彦

一番沢村(栄治)に近い

松木謙治郎

あのころはもう一人の僕がいたような気がします。
自分でもすごいと思う。

今の野球は抑えで8割が決まる。
抑え投手は打者の4番に該当する。
先発3本柱より格上。

何よりも野球は選手がやるもの。
監督は、選手個々の考え方や才能を自由に発揮できる環境を作るだけ。

権藤博

 

1961年、巨人との激しい優勝争いのなか、69試合で35勝を挙げ、2リーグ制最多の429回1/3に投げた中日の新人・権藤博。 
登板数が一番多かった月は8月の14試合で、うち完投8(完封2)だったが、梅雨時の7月にほぼフレーズどおりの時期もあった。
7月4日からの「雨、完封、雨、移動日、完投、雨、移動日、先発(5回)、雨、雨、移動日、先発(5回)」という12日間だ。  

しかし、翌1962年の30勝で燃え尽きた。10勝、6勝と勝ち星が減り、65年には内野手転向。
68年投手に戻ったが、1勝しかできず引退となった。 

主なタイトルは新人王、最優秀防御率1回、最多勝利2回、最多奪三振1回、沢村賞1回。
横浜では監督も務めて98年にチームを優勝、日本一へと導いている。

 

通算成績(1961~1964, 1968)
82勝60敗

登板 210
先発 131
完投 67
完封 18
奪三振 667

防御率 2.69
WHIP 1.10