現実とは本来一面において与えられたものであると同時に、他方で日々造られて行くものなのですが、
普通「現実」というときはもっぱら前の契機だけが前面に出て現実のプラスティックな面は無視されます。
いいかえれば現実とはこの国では端的に既成事実と等置されます。
現実的たれということは、既成事実に屈服せよということにほかなりません。
現実が所与性と過去性においてだけ捉えられるとき、それは容易に諦観へ転化します。「現実だから仕方ない」というふうに、現実はいつも、「仕方のない」過去なのです。
(丸山眞男)