人の優秀さとか、一緒に仕事しやすいか?をはかる目安として
「知りません」「分かりません」がスッと出てくるか?というのがある。
なんのてらいもなく「分からん」「知らん」が言えるということは、
「世の中に自分の知らないことがあるのは当たり前」
「難しい問題解決にチャレンジしているのだから、分からない状況は恥ずかしいことではない」
という姿勢ができているということ。
これは知的営みをする上でのスタートラインだと思う。
まず、自身が何を分かっていて何を分かっていないのか、その境界が曖昧な人がいる。
頭の中がとっ散らかっているのだから、思考の準備ができていないということだ。次に、無駄なプライドが仕事の邪魔をしているケース。
知識の価値が減ったからといって、やはり知らないよりは知っている方がよい。
だから知らないと恥ずかしいのは自然のこと。
知らないとか理解できてないことを自覚しているのに、それを相手に伝えられない人は、
きっと仕事を進めるよりも大事なモノがあるのだ。
人から賢いと思われたいとか、恥をかきたくないとか。そういう変なプライドがある人と仕事するのはめんどくさいですよね。
複雑な仕事では、全てを知り、全ての構造を理解している人なんていない。
だからもし「知らん」「分からん」と言ってくれるなら、「じゃ、説明するね」とか
「オレも知らんから調べよう」というだけのことだ。
そのやり取りは10秒で終わる。
だが「知らん」が言えない責任を、個人だけに負わせるのはちょっとアンフェアかもしれない。
例えば「知りません」と言った人に対して「そんなことも知らないのかよ。お前入社して何年経つんだよ」
みたいな罵声を返したら、言わなくなるのは当たり前だ。
個人としては「知りません」を躊躇なく言ったほうがいい。
チームとしては自分以外の人が「知りません」を言える環境を作ったほうがいい。
(白川 克)