だいたい俺ね、初めての監督が日本代表の監督なんだもん。
41歳で。たぶん世界中で俺ぐらいだよ。
初めてやる監督が、国の代表の監督なんてね。
世界中で俺しかいないと思うよ。もう無茶苦茶なのよ。
あの時は日本中が、誰もが知らない、なんか知らないけどワールドカップっていう
モンスターみたいなものを見ちゃって、クレイジーだったよ。だって俺の家は、俺有名になると思ってなかったから電話帳に載せてたから、
脅迫状、脅迫電話が止まんなくて、家の前は24時間パトカーが守ってたもん。
2回目のワールドカップ(2010年)のときも結構叩かれたけど、でも全然クレイジーじゃない。
やっぱみんなこうワールドカップっていうものを理解してるし。あの1回目の時はもう・・・
あの頃はほんとやっぱりね、ちょっとクレイジーだったよ。
ジョホールバル(98年W杯最終予選)で勝ったじゃん?
俺、岡野に言われるまで忘れてたんだけど、岡田さん覚えてますかと。
ジョホールバルのスタジアムから帰るときね、バスの中も負けたようにみんなシーンとしてたの。あ、そういえばそうだったな。
あ、そうだ、それでみんなでレストラン入って、みんなご苦労さんだったな、ほんとありがとう、
で、ポーンとシャンパン抜いて、じゃあまあみんな一杯飲んで、みんな疲れてるだろうから
それぞれ帰ってって言ったら、パーッとみんな帰って。
なんか、やったー!とかそんなの全然なかった。
本当にね、ホッとして、これで国に帰れる、もうそれだけだった。
本当に国に帰れないとみんな思ってたから。
それぐらい追い込まれてたよ。
(岡田武史)