みんながあるがままに生きることができれば

(2004年の転落事故について)

当時はね、落っこっちゃったからしょうがねえなという感じで。

起こった出来事は変えられないし、身体的にも社会的にも、なかったことにはできない。
開き直って前向きに生きていくっていうのを、ちょっとずつ重ねていったという感じで。

一発でパンと開き直れたわけじゃなくて、そうなるのに10年以上の歳月が必要でした。
今、素直に正直に思うのは、自分の本当の人生が、そこから始まった。

やっと「フラット」になれたなと感じたのが、マーティン・スコセッシ監督と仕事をした「沈黙ーサイレンスー」でした。
鬱屈した章が終了して、新しい章が始まるみたいな意味合いがあった。
自分の感覚的にプラマイ0になったっていうか。

それまでは「やっちまった」感がすごくあった。
言い訳したくなる自分がいた。

ジャパンプレミア(日本公開記念イベント)に出演するため、大阪から東京に向かっていると、
関ケ原のあたりに雪が積もっていて銀世界だったんですよ。
それを見たとき、「あ、今日から始まるんだな」という気分になった。

渋谷とかね、こんなに変わっちゃうのっていうくらい変わっちゃって。
なんかすごく、よそよそしい感じ。
住んでいたときは毎日、スケボーとかBMXとかで移動していたんですよ。
池袋西口公園も「ここ、どこ?」っていうような感じになっていて。

でも、どこか子供の成長を見るような気持ちで見ていた方がいいのかな。
うれし寂しい、みたいな。

より良くなっていると思えたら、本気でうれしいと思える。
みんなの幸せに寄り添うような街にちゃんと変わっていくんだったら、
姿が変わってもよかったねと。

今だと本当に良くなっているか分からない。
自信の持てないところがあるじゃないですか。
胸を張って子どもたちに「我々が生きてきた時代よりももっと良い時代を生きられるんだよ」
とバトンタッチしたいなと思います。

時代は進んでいくし、俺もずっと窪塚さんだったのが、窪塚さんのお父さんになった。
ある程度年齢を重ねたら、変化しないじゃないですか。

「時間はちゃんと流れてるんだな」と、たまに立ち止まって認識する必要があるなと思います。

先日、千葉県のある酒蔵に行ったんです。
酒蔵って、ナイーブな場所じゃないですか。
でもそこは「どうぞどうぞ」って感じなんですよ。

聞くと、「良い菌もいるし、悪い菌もいる」と。
「うちはバランスがとれているから、問題ない。どんな菌が入ってきても大丈夫」って。
ふところの深さというか、心構えがかっこいいと思いました。

こういう世の中になったらいいよなって。
何かを排除するのではなくてバランスなんだなって。

みんながあるがままいることでフラットになっているっていう状況は、理想郷のような感じがして。
そういう世の中にできないかなって夢見ました。

昔よりマイノリティーが、マイノリティーとして押し込められている世の中じゃなくなってきていると思います。
インターネットでつながり、声を上げることができる世界になってきている。

巨大で大多数だったものが、どんどん崩れている気がする。
だから、みんながあるがままに生きることができれば、幸せなんじゃないかな。

これから先、テクノロジーが進化していくのは止められない。
だけど、自然の力も存在している。
未来の街は、そういうあらゆることが良いバランスでミックスされているんだったらいいなって思います。

窪塚洋介