脱・脱成長

大体こういう「脱成長」を唱える方というのは、経済成長によって市民が使い尽くされると。
どんどん世の中悪くなっていると主張されてる方が多いんですけれども。

温暖化で、あと10何年で地球が終わるとか、そういった話をされている方が多いんですけれども、
実際の歴史的な経緯を見ると、むしろ逆に経済成長こそが、そういう災害の被害を減らしてきた
ということが明らかになっているわけです。

パッと何となく印象で物事を語っているというということがやっぱりあるんですね。

グレタ・トゥンベリさんなんていうのは、すごく話題になりましたけれども、
「たくさんの人が死んでいる」という風に言うわけですけども、まぁ確かにたくさんの人が死んでいるのは
事実なんですけど、経済成長によってそういう人は減ってるんですね。

温暖化といった問題も結局、むしろ技術革新が進んでいって解決していく問題だということが言えるわけです。
まぁこれは過去の大気汚染とかそういったものが全部そうだったわけですけども、
後ろに戻って世界が良くなるということはないわけです。

過去に対して幻想を抱いている、というのがやはりあると言わざるを得ないと感じたわけです。

ギリシャ時代に技術革新がワーッと出てきた、技術革新といっても数学とか科学とかの面ですけれども、
それが結局止まっちゃうわけですよね。

たとえば中国の宋の時代には産業革命に近いことが起こったという研究がありますけど、
それも結局技術が止まってしまって、全部後退してく、あるいは止まったままになってしまう
ということが人類の歴史では何度も繰り返されていて、それがやっと完全に破られたのが、
結局産業革命以降の世界なわけです。

それまで結局、いろんな研究がありますけど、ほぼゼロ成長なんですね。
短期的には成長してても、最終的には戻っちゃうっていう歴史を、人類はすごい長い期間繰り返してきたのが、
やっとそうじゃなくなって、貧しい社会が豊かな社会になっていく、イノベーションが止まらなくなったっていうのが、
産業革命以降の人類の歴史だと言えるわけです。

それをもう一回止めようというのが、こういう人たちだと。
ちょっと言い方は乱暴ですけども、いわばそういうことだと思うんですね。

(柿埜真吾)