・・・それにしても雨とはね。空が見えんのはいかん。
君らは空に興味はないか?
星を眺めるのは快いぞ。
ふっ、慈悲深いね。
だが、君らこそ一度考え直すべきじゃないか?
現状 のこのC教は、本当に君らを救うのか。
ーーーというか、そもそも彼らの言う天国など、本当に存在するのか?
そういう君らは、一体何をわかっているんだ?
君らは、この世の絶望から目を逸らす為に、
あるかもわからぬ天国に逃げてるだけじゃないのか?
いや、君らが絶望 "を"、突き放しているのだ。
ーーー2000年前、アテナイの老人が毒杯を
呷 った惨事から、今の哲学が生まれた。
1500年前、ナザレの青年が十字に磔 られた無念が、今のC教を形作った。
人は悲劇を肥やしに、時に新たな希望を生み出す。その場しのぎの慰めなんか、現実を変えやしない。
だが、芯から湧き出た苦悩は、煮詰められた挫折は、或いは君の絶望は、希望に転化し得るのだ。なのに君らは絶望に目を塞ぎ、誰かがくれた死後の保証つきの人生を生きてる。
そんな人間に希望など訪れない。
ふっ、”異端” か。
君がそう呼ぶ者を何故恐れるか、よくわかるぞ。異端が理解不能だからではない。
寧 ろ逆だ。君自身が、心の底では天国を信じ切れてないからだ。
「こんな辛くて混沌とした
大地 に生まれたのに、本当は天国なんかなくて、ただ死んで終わりかも」そう思ってるんだろう。
不安になるのはよくわかる。
死後の予定が揺らぐのは辛いだろう。しかし君は、いや人類は正面から向き合うべきだ。
麗しの天国なぞ、ないのかもしれないということに。だがこの
地球 は、天国なんかよりも美しいということに。君だって、本当は信じたいだろ?
この星は生きるに値する素晴らしい何かだと。
さて、事態を理解しているかね?
今夜、君達はこれから少しの間だけ、恐らく人生で初めて、
自らの運命を変える挑戦権を得ている。一生快適な自己否定に留まるか、全てを捨てて自己肯定に賭けて出るか、
どちらを選ぶも自由だ。さァ、どうする。
(チ。 ー地球の運動についてー)