東京一極集中してなかったら、こんな腐敗は絶対になかったやろうなぁと僕は確信してるんですね。
考えてみてください、1950年ぐらいには東京の集中度というのは15%くらいだったけれども、
今は30%になっているわけです。ということは、この東京の人口が倍になっておるわけですよ。
これはどこから来たかというと、地方から来ているわけですよ。
地方の人間めっちゃ減っているわけでしょう?
で、東京一極集中だけが進んでいるわけではなくて、大阪一極集中だとか、
名古屋一極集中だとか、福岡一極集中だとか、札幌一極集中だとか、
仙台一極集中も起こっとるわけだ。ということはですよ、大都会はどんどんどんどん肥大化していて、
地方都市は過疎で衰退していっているわけでしょう。こういう状況がなかった、多分1950年の状況から全然変わってなかったとしたら、
鳥取も島根も福井も、それから宮崎も青森も北海道も、かなりの人が住んでいるわけですよ。
一極集中してないから、都会の方では何が起こっているかといったら、
昔ながらの下町文化が残っているはずですわな。
大阪でも、昔のナニワの文化が残っているでしょうし、
京都の町中の文化も残っているでしょうし、
その一方で京都丹後は、丹後の文化もそのまま残っているでしょうし、
出雲の文化も残っとるだろうし、薩摩の文化も残っとるとして、
全国各地に伝統文化がそのまま残っているはずです。
ところがですよ、田舎の方は人が少なくなって、共同体がなくなって、伝統文化がなくなる。
そうしたら伝統文化のコミュニティが崩壊してしまうわけですね。
コミュニティが崩壊してしまったら、そこに倫理も道徳も何もなくなるじゃないですか。あるもんゆうたらスマホとか、ネットフリックスとかそんなもんばっかりになるでしょ。
そんでインターネットばっかり見るようになる。
都会の方はどうなってるか言うたら、下町文化も何もなくなって、新しいマンションが
ボンボンボンボン建ってですよ、なんかもう鳥の巣みたいなところに住んで、
なんかもう結局、隣近所も誰かわからないようなところでみんなおってですよ、
そこでもスマホ見て、ネットフリックス見て、ネットで悪口書き込んだりとか
するようになるわけでしょう。
ということで、人口が地方から東京、あるいは都会のところにゴソッと変わることを通して、
” Japan is not what used to be" なんですよ。日本は、かつての日本のような国ではなくなったんですよ。
全国各地が、田舎は田舎でなくなるのと同時に、東京の下町文化なんかも含めて
全部なくなったわけですよ。あらゆるところで、日本が日本でなくなってしまうということを導いたのが、
東京一極集中現象なわけです。
共同体がなくなったら、日本人というものは神様がいないから、共同体における
日本人の倫理・道徳・習慣、あるいは宗教性だとか正義感だとかというものは
共同体の中で育まれるわけでしょう?それがないんですよ。日本人から共同体がなくなったんだから、もちろんそこで育まれるはずの
倫理観とか正義感とかも全部なくなるじゃないですか。
そしたらそん中で選ばれた政治家も、正義感も倫理観も当然ないし、
派閥を作ったらそこでも金のやり取りばっかりするだろうし、
企業の方も癒着するだろうし、それこそ渋沢栄一みたいな人もいなくなるし、
昔で言ったら原敬だとか、犬養毅みたいな立派な政治家もいなくなるわけですよ。
みんなが共同体がなかったら、日本人なんて神様はいないんだから、日本人も、
社会的な、文化的な倫理観のない、畜生みたいなものになってしまうわけですよ。現代人の日本がダメなのは結局、昔の日本の国土がなくなったからでしょう。
ということは腐敗するわけですよ、一極集中を放置したら。日本がもし一極集中してなかったら、昔のふるさとがそのまま残っていたら、
昔の都会の下町文化がそのまま残っていたら、日本人はここまで腐ることも
なかったし、自由民主党がここまで腐敗することもなかったはずじゃないですか。そう考えたらね、一極集中を放置してるっちゅうのは、ほんまにアカンことやなと、
改めて思うわけです。
一極集中するってことで、過疎過密の問題、経済産業の問題、貧困格差の問題という
誰もが思いつくような問題ももちろんあるんだけど、実は一極集中問題というのは、
日本人の精神性を下劣化させてしまったし、その一端として自民党のあの裏金問題が
起こっているんだと思うと、一極集中問題を直すことは本当に大事だなと思ってます。
(藤井 聡)