プライドの高い人間は、人を見下すことをやめられない。だったら正しく見下そう。

プライドが高い人間は “プライドが高い”という祝福と呪いを背負ってるわけだから、それと一緒に生きるしかない。

プライドが高いまま生きていくほうが人のためになるし、プライドが高いだけの自分を保とうと思っていったほうが楽だと思う。

つまり、プライドが高いんだったら、プライドを下げるんじゃなくて、その無駄なプライドを利用して、そのプライドに見合うだけの自分っていうのを、持ち上げて作っちゃったほうがいいと思う。

自分自身はちゃんと周りに自慢できる、俺のプライドに見合ってる俺だろうか、っていうふうに強制的に無理してあげることで、俺達みたいなプライド持ってる人間は生きていく場があるんじゃないのか。

プライドが高いというのは、人を見下しちゃってるということなんで、いい見下し方と悪い見下し方があるというふうに考えよう。

母親はさ、赤ちゃん泣いてたら見下さないじゃん。「あ、泣いてたの?おしめ湿ってたの?わからなかったママを許して」って言っておしめを替えるじゃん。
子供が喧嘩してて、先生の立場だったら、「何やってんだ!」と思うんじゃなくて、「しまった俺が目を離した隙に!」って思うじゃん。
これが正しい見下し方なんだ。

「なんかこいつバカだよ」とか、「なんて世間はバカなんだ」って思ったら、それは “バカだと思った僕らの責任”というふうに考えたほうが、はっきりと僕たちの頭の使い道があると思う。

僕らの頭っていうのは、人を見下すために動いてしまっているんだけども、見下してしまっている以上、そんな権利を行使している以上、義務というのを引き受けて、

じゃあそういうバカどもがこの世の中にいるんだったら、それを何とかするってふうに使ったほうがいいと思うんだよな。

岡田斗司夫

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