綾部という男

休憩時間に定食屋に入ると、綾部は「カルビ定食が一番美味いぞ。それにするだろ?」と言った。
なぜ人の食べるものまで決めてしまうのだろうと不思議に思ったが、そういう人だった。

一緒に街を歩いていても、綺麗な女性がいると綾部は必ず声を掛けた。

「恥ずかしくないんですか?」そう聞いた僕に綾部は、
プライドが高いから恥ずかしいんだよ。俺は毎日、さぼらず素振りしてるだけ。
 素振りもしてないのに、ヒット打てるわけないだろ?」と言った。

眼に力を込めて力説していたので、「そうですね」と頷いたが、それはただのナンパの話でしかなかった。
綾部は自分に憧れている者に対するように語っていたが、僕はどちらかと言うと呆れていたのだ。
ただ、そんな変な部分には共感できた。

「相方なんだから、もっと綾部さんの優しさを世間に伝えてください」
と幼稚な文章を寄こして来た人がいたが、そんなことはどうでも良い。

優しさを与えてくれないと誰かを好きと思えないような、その程度の欲望で触れて来ないでいただきたい。

優しいかどうかなんてただの状態に過ぎない。そんなものは、とっくに超越している。
あらゆる要素を含み、得体の知れない生きものとして存在しているその人こそを隣りで笑っていたい。

又吉直樹