受け手が思っていることしか伝わってない

僕のやりたいこととして、僕は人にモノを伝えるんじゃなくて、「考えさせたい」んですよね。
考えるというのは、定義上、時間を取ることなんで。

伝えるというのはけっこうシンプルで、「AがBですよ」ということを言う、このためにどう効率よく伝えるかということなんだけど。
「考えさせる」というのは、効率性ということと真っ向から反することがあってね。
時間を取って考えさせるということをどうするか、というのが僕にとって課題なわけですよ。

結局人って自分が想定していることしかわからないから、そもそも知識って伝達されてるのかどうかも怪しくて、
受け手が思っていることしか伝わってないんですよね、実は。

だからテキスト読まれないってそういうことで、新しいことを伝えるというのは、
「伝える」んじゃなくて「考えさせる」ということをしないと、新しいことは伝わらないんですよ。
ノータイムで伝わることってのは向こうが知っていることだから。

僕がハッシュタグが嫌いなのもそうで、ハッシュタグは基本的に全部知ってることを反復してるだけなんで、あれ何も起きてないんですよね。
たとえば最初から五輪中止にしたいと思っている人が五輪中止にしろって言ってるだけで、ハッシュタグを見て五輪中止に意見が変わる人っていないわけですよ。

多分一番厄介なのは、政治がそうなっちゃったってことで、元々政治というのは市民一人一人が多少考えなきゃいけないんだけど、
結局市民に考えさせるよりもハッシュタグで動員したほうが票になるってことに、みんなが気がついてしまった世界が今なわけですよ。

だから今の政治的なキャンペーンってのはとにかく考えさせなくなってるんですよね。
「敵はあいつ、以上!」みたいな感じになっていて。
そうすると考えないので、すごい効率よくリツイート数も稼げるし。

なんにでも使えるツールじゃないというわけです、SNSって。
政治とか民主主義に使うと、SNSはやっぱり功罪だと罪のほうがけっこう大きいんじゃないかと。

Twitter上で論争とかをしている人たちというのは、根本的に勘違いしているような気がしますね。
論争なんかしたって何も変わらないし、誰の意見も変わらないんですよ。

文化の多様性って、価値観の多様性なんですよね。
SNSはそういう意味で、次世代の文化的多様性にかなりネガティブな影響を与えかねないと思っている。

 (東浩紀