無料という名のコスト

今まで働いたことがないから、働く楽しさを知らない。

今まで女の子と付き合ったことがないから、恋愛の楽しさを知らない。

今まで友達がいたことがないから、友達の楽しさを知らない。

今まで本気になったことがないから、本気になることの素晴らしさを知らない。

 

子供の頃からそんなことばっかり言われるじゃん。
本当かよ?って思ってて。

仮に、友達がいる楽しさとか、本気になる楽しさとか、働く楽しさを知っていても、
煩わしさの方が上回ってるっていうのが現実なんじゃないかな?と思うんだ。

これ仮説なんだけども、社会に無料で溢れる快楽コンテンツの分量や楽しさの総和が、
合計値が、ある限界点を上回ったからだっていう風に仮説を立ててみた。

 

俺たちは、ありとあらゆることが煩わしく感じる。

仕事の楽しさっていうのはあるんだけども、仕事をわざわざやらなくても、家に帰ったら無料でできること、
既に買ってあるゲームで感じられること、ネットにつなぐだけで味わえることの快楽が常にあるから、
そこでもうお腹いっぱいになっちゃってるんだよね。

つまり、いつもおやつ食べてるから、本当のお腹のすき方がよくわかんないような状況になってる。

仕事の楽しさとか、恋愛の楽しさとか、友達と付き合うことの楽しさって、たぶんね、
みんな知ってるんだよ。

みんな煩わしさも楽しさも知ってるんだけども、ところがそこに無料の無限のコンテンツ、
快楽コンテンツが入ってきた瞬間に、そっちの方が楽で楽しいやって思わざるを得ないんだ。
これがあまりにも潤沢に、豊富に、ザァーッと流れ込んでくるから。

 

過去の歴史上で、そういう状態になった国というのを知ってんだけどさ。
アヘン戦争で負けた頃の中国なんだ。

無料のコンテンツっていうのが、麻薬みたいなもんだからやっちゃいけないって言ってるんじゃない。
俺たちの今の「状態」を話してるんだ。

無料のコンテンツっていう楽しみがあったら、それはあの当時、アヘン戦争の当時の中国人っていうのは、勤労意欲をなくして当たり前なんだ。

もちろんすごく働くやつもいるし、国のために頑張るやつもいるし、すごく戦ってくれる軍人もいるんだけども、
でも国民の大部分は、そういう風に動けないんだよ、人数がどんなにいても。

そして、多い人数が足枷となって、頑張る奴が動きが取れなくなってくるんだよな。

それは個人の中でも同じなんだ。

自分の中にいる1%は常に「でもやんなきゃいけない、このままでいいはずがない」と思うんだけども、
残り99%の自分は「でも快楽コンテンツが無料であるし、ここで頑張らなくても、無理やり彼女作らなくても、無理して働かなくても・・・」
という風に、自分の中の多数決でいうと、常に多数派は、無料快楽コンテンツっていうアヘンに浸かっていて
俺たちに「ま、今日はいいじゃん」とかね、「今はいいじゃん」「明日からでいいじゃん」っていう風に
ずーっと言ってきてる状態だと思う。

昔はアヘンが有料だったから、せめてアヘンを入手するだけの金稼がなくちゃだったんだ。
で、今僕らはアヘンが無料だから。

通信費がって書いてる人がいるけど、通信費じゃないんだよ。
時間なんだよ。

 

俺たちはアヘンを楽しむために、アヘンを楽しむ時間を作り出すために何かしなきゃいけない。
だから、一瞬でも早く家に帰ったり、移動中に一瞬でも早く携帯を取り出して見たりして、その無料の快楽コンテンツ、
それはメールかもわかんないし、SNSかもわかんないし、ゲームかもわかんないけど、そこに身を浸らせたいんだ。
そこで浸らせないと、俺たちの生活のバランスが取れなくなってくる

無料コンテンツっていうアヘンを味わう時間を稼ぐために、
時間を稼ぐために俺らは働いてるんだと思う。

岡田斗司夫