論理的思考

チェスとかさ、ウォーゲームってあるじゃん。
六角形のマスがあったり、四角形のマスがあったり。
で、その位置にしか置いちゃいけないと決まってると。

これが「論理的思考」。
論理的思考っていうのは、必ず決まった位置にしか物を置いてはいけなくて、
それによって思考っていうのをどんどんどんどん進めていくんだ。

でも僕らはもっと曖昧な言葉で生きてるし、それどころか言葉にせずに生きてるじゃん。
「あ、この人いい人だな」とか「こいつ嫌な奴だな」っていう、思考の状態まで持っていかずに
「なんとなく嫌な感じ」とか「ザラッとした気分」っていうのだけで日々を生きてるよね。

こういうのが「非論理的な思考」って今日のところは名付けてみよう。

大人が飛行機とか自動車のおもちゃを使って遊ぶときは、
「飛行機は空を飛ぶもの」「バックしない」「自動車は空を飛べない」
「カーブするときは必ずこうやってカーブする」
こういう筋道を必ず守るよね。
この大人がおもちゃを使って遊ぶのが論理的思考能力。

でも子供が自動車を持ったら、持ちたいように持つし、動かしたいように動かす。
これが非論理的な思考能力みたいなもんだと思ってくれ。

非論理的な思考能力の方が、自由度が高いし、楽なんだ。
でもそれは、何が面白いのか、その子供にしか分からない場合がすごく多い。

それに対して論理的思考能力っていうのは、やることが限られていたり、守らなきゃいけない、
例えば「列車はレールの上を走らなきゃいけない」「車は道路の上しか走れない」
「信号が赤だったら止まらなきゃいけない」って、すごいルールがある。

だから、ちっちゃい子供にしてみたら全然面白くない。

ところが、大人になればなるほど、そうやってレイアウトを引いて、
ミニチュアの車とか電車を動かすと、ゾクゾクするぐらい楽しい。

ちっちゃい子供からしたら、そんなルールやるよりは、それをぐちゃぐちゃ壊しながら
ブーーーンってやるのが一番楽しいに決まってるんだけど、大人になると
このルールに縛られる中で精いっぱい遊んで、ルールを守って守って守って、がものすごく面白い。

これが、論理的思考の本質的な楽しさと、非論理的思考の楽さ、自由さの差なんだよ。

だから君がもし、論理的思考というのが大嫌いで、もっと自由に生きたいっていうのは、そりゃその通りなんだ。
でもそれは、他人にすごく伝わりにくい。

でも、たまに子供がブワーッとか言って遊んでて、周りの大人に「おおっ!」ってウケる場合もあるよね。
そういう偶然の一発とか、すごい着眼点を見つけない限り、君の非論理的思考の面白さとか凄さというのは
すごく伝わりにくい。

逆に言えば論理的思考っていうのは、誰が作っても同じようなレイアウトになりがちだから
よっぽど巨大なストラクチャーとか巨大なレイアウトを組まない限り、人が「おおっ!」って言ってくれない。

つまんないこと、当たり前のことを重ねていって、ものすごい異常な体系っていうのを作れるのが、論理的思考の強みなので。

岡田斗司夫