ほしいものはいつでも
あるんだけれどない
ほしいものはいつでも
ないんだけれどある
ほんとうにほしいものがあると
それだけでうれしい
それだけはほしいとおもう
ほしいものが、ほしいわ。
(糸井重里)
このコピーが世に送り出されて30年以上も経つのに、
最近自分はこのコピーを思い浮かべるシーンが増えてきました。いま何が食べたいのか、何を持って帰ったらいいのかもわからずにコンビニの中をうろうろ歩くとき。
何気なくECサイトを覗いて、「ほしいもの」を探し始めたとき。頭の中にはこの “ほしいものが、ほしいわ” が循環しています。
確かにずっと物欲がムラムラしていたら、いくらお金があっても足りないので、
どこかでちゃんとセーブしているのでしょう。
でも「ほしいものがほしい」枯渇感って、やっぱりありますよね。何か欲しいものがあるときは、それに向けて仕事をがんばったりもするし、
欲しいものがあることは、やっぱり幸せなんだろうと思います。
(武井幸久)
人が何かを欲する時、そこでしか触れる事ができない独自性や地域性や価値を求めると思うのですが、
長らく続いたデフレの結果、そうしたものが庶民レベルではすでに手に入らない贅沢品になってしまったのか、
または過度な自由競争の結果、独自性や地域性をほとんど排除した小売の形態しか生き残れなくなり、
心を揺さぶる素敵なもの自体が日本から消えつつあるのか、、、実態は正直把握しきれませんが、陳列棚の前にいる時、多様なようでいて実は選択肢が少ない、
とても豊かな共産国にいるような気がしてしまった今日この頃なのでした。
(saya)
「バブル期の欲望を表現」と思われがちですが、コピーを書いた糸井重里は
むしろ「物欲の終焉」の時代を先取りしています。『ほしいものが、ほしいわ。』は「いらないものはいらない」だからです。
(田中泰延)
もう本当にお金に興味がないし、欲しいものもほとんどない。
なかなか理解してもらえないと思うけど、欲しいものがあるというのは幸せなことだと思うよ。
(藤田晋)