成功と幸せの関係

編集者になりたいっていう僕の後輩が、僕に「編集者になりたいんですけど」とか言って、いろいろがんばってた。
ただ、そんなコピー取ったりして下積みがんばってる暇あったら、今すぐ誰か著者見つけてきて本作れよと。

昔と違ってnoteだろうが自費出版だろうがAmazon Kindleだろうが、素人が本作るのなんてできるんだから、
球拾いばっかやっててもサッカー上手くならないから、今すぐサッカーやれよみたいな。

で、僕はそれは仕事論としても正しいし、やりたいとかって言ってやってない人が多い中で
今すぐ失敗しても、レベルが低くても、とにかく始めちゃう奴が最終的に成功に近づくというのは
間違いないなと思っていると。

それは今でも変わらないんだけど、じゃあそれが幸せに近づくかっていうと、また別かなと思ってて。

僕は今すぐやる派なんですよ、今行きたいと思ったら行くし、今やりたいと思ったらやるし。
で、トライ&エラーを繰り返してうまくいくまでがんばると。
ラーメンでもサウナでも本でも、とにかくやりたいと思った瞬間、行きたいと思った瞬間に行くと
そっちの方が成功確率もスピードも上がる。

ただ人生としては、今やり続けると暇になるんだよね。
要は、すべて今やり続けると、よっぽどホリエモンみたいに頭おかしいような好奇心がある人じゃない限り、
どんどんどんどんやることがなくなって暇になる。
で、またやりたいことができて、すぐやっちゃって暇になると。
まあまあ多少うまくいってまた暇になるという感じな気がして。

よく死ぬ前に後悔するのは、やった後悔じゃなくてやんなかった後悔だとかいう。
で、多くの場合そうなのかもしれないけど、なんか僕は実は若干違うんじゃないかなと思ってて、
やれなかった後悔のほうが味わい深いみたいなこともあると思うんだよね。
釣れなかった、逃した魚は大きいみたいな。

だからもう釣っちゃったらこんなもんかってなるんだけど、釣れなくてものすごい引きだけ強くて
ガーッてやっててあー逃げたって、絶対あの魚大きかったよみたいな。

すごい後悔するんだけど、心に残ってたりするのはむしろそういう形にできなかったもの、
やれなかったもんだなと思ってて。

たとえば今言った編集者になりたいって言ってた子が、今やれよって言われて
やりますって編集者になって、するとまぁ編集者ってこんなもんだろうなって思うと思うんだよね。

それでもがんばればいいんだけど、意外とその、編集者になりたかったけどなれなかったって思って、
営業とかメーカーとか銀行とかで働いてたとしたら、そっちの方が編集者に対する憧れとかは失われずにあって、
死ぬ前にあー編集者になってればなって思うかもしれないけど、その手にできなかった切なさのほうが実は味わい深くて、
編集者やって、もうなんか惰性でやって、まぁもう子供食わすために編集者やってるみたいな人よりは、
むしろそのやれなかった編集者に対する憧れを持ち続けてる方が、なんか人生として味わい深い領域があるような気がして、
すべて全部試してやっちゃったら、なんか深みがないみたいな気がするんだよね。

みたいな話で、成功するために、金を稼ぐために、有名になるためには、間違いなく今やった方がいいし、
YoutuberならヒカルくんだってDJ社長だって、ビジネスマンならホリエモンだって前澤さんだって、
アスリートなら本田圭佑だって、思いついたらやってるイメージがあって、そういう人は成果を出すけど、
それは間違いないけど、じゃあみんなそれをやって幸せかっていうと、むしろやれないことがある、
そこに対する憧れを持って生きる方が、意外と幸せなのかもしれないみたいな。

ほんと成功と幸せはイコールじゃないよみたいなことに気づいたみたいな話になるなぁと思ってて、
で、これ難しいのは、ある時点まではほぼイコールなんですよね。

仕事ができる、お金を稼げる、有名になるのと幸せって、ほぼイコールなんだけど、
ある一定をすぎると、成功はそのまま上がってても、幸せはそんなに変わんないみたいになるんだよ。

それに気づかないふりをして、成功を求め続けて、そのまま夢から覚めないでゴールってできればいいんだけど、
まともな感覚を持ってる人はどっかの時点で「あれ?これいろんなものを犠牲にして成功を追い求めてるけど、
幸せはあんま変わってなくね?」みたいな。
むしろ失ってない?みたいなことに気づくんだよね。

こういう話をすると、若い奴とかが「そうっすよね、だから趣味がんばります」とか言うんだけど、いやいや違うと。
それはそれで違って、ある一定レベルまでは、やっぱり成功したいとか、お金稼ぎたいでがんばったほうがいいんだよね。
やっぱそれはそれで大事だと思う。

少なくともこの資本主義社会で生き抜いていこうと思うと、よっぽど頭がおかしいというか個性的な、
自分がものすごい確立してる1000人に1人ぐらいの人は、俗世間と距離を取って、自分らしい幸せを築けると思うけど、
多くの人は無理で、やっぱり他人と比較して自分のほうがいい生活してるとか、
少なくともみんなができてるようなことはできる、みんなが欲しい物、みんなが持ってるようなものは
買おうと思えば買えるって状況じゃないと、よっぽどの人じゃないと幸せって思えないんだよ。

でもある程度まで自分を高めてがんばると、もう成功と幸せは比例しなくなってくるから、
そこからは自分なりに定義をする。

GLAYTAKUROさんが言ってたんだけど、エベレストに登るのか、高尾山に登るのかって
どっちが偉いとかなくて、エベレストに登るって人もいれば、高尾山が楽しいって人もいると。

高尾山が楽しいって人なのにエベレスト並みの重装備を背負おうとするのが間違いみたいなことを言ってて、
まさにそうで。

山に登るなら、筋トレとか体力作りとか最低限のスニーカーを買うとか、そこは一定必要で、それをも無視したらダメだと。

ただそれをやって、行って楽しめるよねってなってからは、「自分がどの山に登りたいのか」って考えないと
山に登ってんじゃなくて登らされてる状態で、頂上に近づいた時に、「俺そもそも登りたかったんだっけ?」って気づく。
そういう風になっちゃうんじゃないかなと、思っております。

ま、どうでもいいんですけどね。
そんな感じで、がんばってください。

(箕輪厚介)