これまでも人はコンテンツではなく、人間にお金を払ってきたんだと思うんです。
ライター、言論人、なんでもいいんですが、みんな自分たちを「もの書き」だと思ってきた。
なぜならば、いままでは文章を書くしか方法がなかったから。でも、人がお金を払いたかったのは「文章に」ではなく「人に」なんですよ。
その意味で、しゃべるとか、動画っていうのはすごく向いてるんですよね。
文章の役割がなくなったということではけっしてないんだけど、すごい昔に戻れば、
知識人だって街頭でしゃべる人間であって、文筆を生業としているわけではなかった。近代、新聞とか雑誌のシステムが普及していくなかで知識人は文章を書く人になった。
そう考えると元の状態に戻ってるんじゃないかとも思うんですよね。こいつおもしろいぞっていう部分をいかに効率よく世界に届けていくか。
そのベースで集めたお金で取材したり、時間を作って文章を書いてもいいし、
もっとおもしろいことやってもいいんだけど、とにかく人間力でお金を集めるプラットフォーム
みたいなことを考えてるんですよね……うわ、「人間力」とか言っちゃったよ。
(笑。でも、たしかに東さんのしゃべりの動画を観たら課金したくなるんですよ)
ありがとうございます。そこが大事で、そういうことについていまのインテリ層は軽視しすぎというか。
「そうじゃなくて俺は文章だけでカッコよくいくから」みたいな、そういうこと考える人が多いんですよね。
たしかにそういうことができる人も一定数いるけど、それは少数ですよね。
人間力でやったほうが広がりがある。
じつはアーティストもそうだと思いますよ。アートでもそうだし、ぼくのような哲学でもそうなんだけど、
「こいつがやってること最初はよくわからなかったけど、だんだんわかるようになってきたぞ」
っていうプロセスがけっこう大事なんですよ。アートって最初に出てきたときはよくわからないわけですよ、「これなんだ?」と。
でも、だんだん魅力がわかっていって、いつの間にか世の中の価値が変動するということが起こる。
それは哲学も同じなんですけど、その価値の変動を起こすためには時間がかかるじゃないですか。
その時間を引っ張るのに使えるのが人間力みたいなもので。こいつのやってることはよくわからないけど、なんかすごいことやりそう、みたいな感じで時間を稼ぐ。
そのあいだに徐々にひとの価値観を変えていくのが啓蒙というか、ホントの社会改革だと思うんですよね。
政治家もホントはそういうものだと思います。
ビジョンって最初はわかってもらえないわけですよ。けれどもこいつはもしかしたらすごいんじゃないか、という感じで金を集めて活動して、
20年ぐらいたってから、「そういうことだったか!」となる。その時間稼ぎが人間力だと思うんですよね。
いまの世の中はそういう時間稼ぎをすごく軽視してて、「いま私はこういう政策を実現します」みたいになっている。
そして「そうだ、みんなが求めてる!」「いや、それは求めてないぞ!」みたいな条件反射だけで、
政治家も判断されるし言論人も判断されるしアーティストも判断されるようになっちゃってる。それをちょっと変えたい。
時間稼ぎのための人間力。
(あとで伝わればいい)
そう、あとで伝わればいい。
その「あとで」が難しいんですよ、いまの時代は。
いまこの瞬間ジャッジされちゃうから。
(東浩紀)