「どんな経験もムダじゃない」という幻想

自分の感覚で見切っていいと思いますよ。
「嫌」「合わない」というのは、あくまでも主観的な感覚なので。
自分のなかの違和感が、人と比較してどれくらいの大きさかなんてわからないわけです。

「石の上にも3年」って、「どんな経験も無駄じゃない」という幻想から来てると思うんですね。

どんな経験もムダじゃない幻想」には、
人の決断力を鈍らせる二つのカラクリがあるんです。

一つは、「どんな場所でも学べることは必ずある」という安心感。
どんな会社でも最低限のビジネスマナーとかは学べるので、ウソではない。
ただ、逆を言えばどこでも学べるわけですから、決して「そこにとどまる理由」には
ならないはずなんです。

もう一つは、「努力している」という安心感。
人って、日常の時間を埋めていると、落ち着くんですよ
僕も、スランプのときには、とにかく1日中グラウンドにいて、トレーニングをしていました。
何も前進してないんですけど、「何かをした」というのは自分への最高の言い訳になるんですよね。

そうやって違和感に気付かないフリをして、同じ会社に3年もいたら、
せっかくここまでやったのにもったいない」という、また次の
「決断しない言い訳」が生まれて、さらに動きにくくなりますよ。

だから、もしまわりに「それくらい我慢したら?」と言われたとしても、
自分の感覚を信じたほうが後悔がないと思います。

「好き」と出会うのは、正直運かなと思います。
でも、「得意なこと」は必ず見つかります。
みんな、探す場所を間違えているだけで

「得意なこと」は、長所というより「特性」のことなんです。
みんな“自分の長所”を探そうとするけど、それだともっとできる人と比較して
すぐに自信を失ってしまう。

探すのはそこじゃないんです。
「得意」は、ダメなところをひっくり返すと簡単に見つかるんです。

日本は、相対的に“ポジションチェンジ”が少ない社会ですよね。
プレーする競技を変えることも、環境や仕事を変えることも。

だから、自分の短所を「特性」だと認識できる機会がなくて、
短所をずっと短所のままだと思ってしまうんですよね。

日本は、眠っている「得意」を見つけるのが苦手な国なんです

場所が変われば、「多動」が「好奇心」に、「内向的」が「思慮深さ」に変わる。
どんな特性も、得意なことに変わるんです。

為末大