それでも我々は「音楽が好きだ!」と叫ぶことができるか

ちょっと、怖いの見つけてしまった。

ユーチューブにて、AIで生成された80年代シティポップばかりアップしているアカウント。
このクオリティが、どの曲も高すぎる。

トラックのみならず歌詞もボーカルも素晴らしく、昨日まで存在しなかったはずなのに、
どの音源も入手したくてたまらない。怖いよ。

おそらく我々は、最も根源的な意味での
愛のない音楽は音楽たりえるか」という難問にぶち当たった、
第一世代になるかと思います。

複製技術時代のアウラはいずこ?という古典的な問いが、第二段階に突入しようとしている。
その複製技術を駆動させようとする主体に、まだ愛の片鱗を垣間見ることができた時代の終焉。

もはや主体らしい主体はどこにも存在せず、
複製技術自身が、アウラらしき装いをまとう複製を大量生産する時代の到来。

それでも我々は「音楽が好きだ!」と叫ぶことができるか。
今まで問うたことのないラスボス級の難問が、ついに出現してしまったな。

初期条件のインプットを行う主体がいるではないか?」と指摘できるかもしれないが、
しかしその主体は、音楽を作ろうとはしていない。

もっと別の、おそらく、今回の私のツイートに続々と出現してきたインプレゾンビと同じ動機。
いつしか我々の生きる世界は、このような風景を採用してしまった。

(デラ)