君がうまくいかなかったのは、君がダメなやつだからではなく、君が選んだ業界が悪かったのだ

ではまずひとつ話をしよう。

我々は、石ころと宝石のどちらを大事に扱うかとなった時に、宝石の方を大事に扱う。
それはなぜだ?

人々が宝石を欲しいと思う量よりも、はるかに宝石は少なく希少だからだ。
逆に石ころは、あまりにもそこらじゅうにあり余っている割に、ぜんぜん人に必要とされないから、粗末に扱われる。
わかるな?

では次の話をしよう。

そもそも根本的な話として、人間社会や、あるいはその中にある業界というものは、労働力を欲している。
労働力を欲しているということは、その社会や業界が人を欲しているということだ。

労働力をたくさん欲している社会や業界では、人は希少で足りない存在だから、みんなに欲しがられる。

みんなに欲しがられていて希少なもの、つまり宝石のような存在は大事に扱われるから、
労働力を欲している社会や業界では、人は大事に扱われ、高いお金も払われるのだ。
宝石がそう扱われるようにな。

社会や業界がどんどん成長していってると、ますます人手が足りなくなるから、
人々はみんなから大いに必要とされ、大事にされ、わりかし豊かに暮らすことができる。
つまり人が宝石のように扱われ、とても幸せに生きることができるのだ。

そういう社会では人はみなのびのびとお互いに助け合いながら生きるし、
そういう業界ではみな良い労働環境で互いに高めあいながら働いていくことになる。
昭和の時代がそうだったようにな。

これが成長している社会であり、成長している業界なのだ。

成長している社会ではどんどん人口は増え、また成長している産業にはどんどん人が集まってくる。

しかしその状態でやがて社会や業界の成長が止まると、その社会や業界が欲している労働力のキャパシティは詰まり、逆に過剰に人が余るようになる。
この状況において、人は「足りない存在」ではなく「余っている存在」になる。

社会はあまり欲しくもなくあり余っているものを石ころのように扱う。
これは人間という「商品」においても変わらずそうなのだ。

成長をやめ、これ以上人を欲していない社会や業界では、逆にもうこれ以上人を抱えきれなくなって
人がたくさん余るから、人は粗雑に扱われ、過酷な条件でこき使われ、安い給料しか払われなくなる。
石ころが粗雑に扱われ、高い金が払われないようにな。

そういう社会では、人々はお互いの足を引っ張り合い、他人の不幸を笑いながら生きるし、
そういう業界では、劣悪な労働環境で働いていくことになる。
現代の日本がそうであるようにな。

これが停滞している社会であり、停滞している業界なのだ。

さらに、社会や業界の成長が止まっているどころか、衰退しているような状態だと、
事態はもっと壊滅的となり、労働者は石ころどころかゴミのような扱いを受けることもあるだろう。

つまり社会や業界において人がどう扱われるかは、そこに所属している人本人がどうかというよりも、
その組織全体がどれくらい成長しているかが決めるのだ。

だから俺の時代、世界最高の栄耀栄華を誇っていたイギリスという国は、
しかしその内実、もう発展しきっていて、これ以上の労働者を欲していなかったから、
イギリスの労働者はかなり粗末に扱われることになってしまったのだ。

逆にまだまだ発展途上の国で、大国というほどでもなかったアメリカでは、
労働者は大事な存在として丁寧に扱われ、かなりいい暮らしができていたのだ。

だからもし君が、まだまだ成長盛りで労働力をたっぷりと欲している業界か国を見つけて、
そこに身を置くことができたら、そこではみんなは君のことを宝石のように扱ってくれるだろう。

そういう環境を事前に知っておくために、目の前のことだけでなく、社会全体でどの業界が
今後伸びていくのかを事前に察知しておくことが、結果的に自分の人生の幸せにもつながるのだ。

だから、君がうまくいかなかったのは、君がダメなやつだからではなく、
君が選んだ業界が悪かった。

君の人間性が他人を石ころみたいに扱う悪いやつになってしまったのは、
君が根っからの悪者だからというわけではなく、君が選んだ業界が悪かった。

もはや人を石ころかそれ以下のようにしか扱うことができないような、
キャパシティがどんどん縮んでいくダメな業界に君は身を置いてしまった。
一見きらびやかに見える業界でもな。

しかしそう考えたなら、君は決して社会に必要とされていない人間だとは言えないのではないか?

君は優秀だ。
まだまだやり直しがきくだろう。

もしも君が宝石のように扱われ、幸せな労働者として生きていきたいと願うなら、
成長している業界を見つけてそこで働くか、あるいは成長している国にでも移住するんだな。

アダム・スミス国富論」@ぴよぴーよ速報)