吉田義人「ここで伊勢丹をやめたら負け犬になってしまう」

なんで伊勢丹に行ったんですかって、もう2000人くらいに聞かれてきました(笑)

大学進学で志望した学校に行けなくて。大人の都合で決められてしまった。
だから、俺の人生は俺のものだ、次の進路は俺が決めるんだという気持ちがあったんですよ。

現在のリーグワンの上位チームほぼ全てからお話をいただいているような状況だったので、
周囲の9割方は「お前、馬鹿じゃないか」という反応だったね。

当時は企業がスポーツの宣伝効果を認め、競ってチームを強化し始めていた頃です。
それで会う企業の方々が

「仕事は午前で上がって、午後からラグビーに集中できる環境を整えているから」

と自信満々に言ってくるんです。でも、俺はそれを聞いて疑問しか感じなかった。
それで仕事ができるようになるのか、会社の中でキャリアを築いていけるのかと。
そんな中、伊勢丹ラグビー部長で取締役の頭山秀徳さんから

「百貨店には百通りの仕事がある。吉田君が将来やりたい仕事も見つかるんじゃないか」

と言われて。そこに魅力を感じたんです。
仕事は楽しかったし、社会人になったら何でもやってみたいと思っていた。
その瞬間、瞬間で常に100%全力だった。

(入社3年目の1993年、伊勢丹ラグビー部が活動縮小。他から誘いがあったにも関わらず辞めなかった理由は?)

ここでやめたら負け犬になっちゃうなと思った。
結局、ラグビーやりにいっていたんじゃないかと言われるのが悔しくて。

(廃部が決まった翌年の2000年3月、退社して海外プロリーグに参戦した理由は?)

仕事とラグビーの両輪で俺は成り立ってきた。
伊勢丹に百通りの仕事を見つけにいって、次に自分のやるべきことは何かと考えたら、
今後はスポーツ界に貢献したいという答えに行き着いたんです。

マチュアは仕事をして給料をもらってる。
プロの選手はそれを職業にして、人生をかけてるんです。
生きざまが違うんですよ。

それまで俺は他のプロ選手と対等に話す自信がなかった。
これから日本のスポーツ界で貢献していこうと思ったら、プロを知らないといけない。
どうせプロになるのなら、俺の理想のラグビーを表現しているシャンパンラグビーのフランスに行きました。

今の選手達が羨ましい気持ちもあるが、自分が生きてきた道に後悔はない。
自ら行動を起こしたことで、学びや経験がいっぱいあったから。

(客観的に見て、全盛期の吉田義人が今の日本代表に入ることはできますか?
 11番を背負って世界相手に戦うことはできるでしょうか?)

日本代表、ぜひ選んで欲しいね。
俺は最高の仲間たちと頂点を取るためにトライを取る。
それがフィニッシャーの宿命だから。

吉田義人