失われた "聖域"

もはやインターネットがここまで普及してきた社会の中で、
リアルかインターネットかって分けて議論することは意味がないのかなと思っていて、
もうインターネットがもはやリアルではあるんじゃないかなっていう気がするんです。

さっき、ネットには儀式みたいなものが存在したんじゃないかって仰ってましたけど、
本当にかつて、まぁこんな話しても分かる人がどんだけいるかわかんないですけど、
かつてはインターネットを使おうとするとモデムに繋いでピーヒョロガーっていって、
で「ここからインターネットに入ります」っていう、そういう儀式を踏んでたんですよね。

そういった中で、いろんなテキストサイトであったり、まぁ2ちゃんねるもそうですが、
そういったサイトにアクセス、自分からこうURLを探し出してたどり着いていくっていう
そういう世界だったんで。

そういった世界だと、こうそれぞれの・・・自分の思いを持った人たちが、
要は社会になじめなかった人たちが、インターネット上で自分を表現したりとか、
2ちゃんねるで匿名で繋がり合う、発信し合うっていう、ある意味インターネットが
”聖域" だった時代があったんじゃないかなって思っていて。

でももはやスマホがこんだけ普及して、常時接続したスマホをみんな持ってるわけですよ。
「一億総ネット社会」みたいなものになってきた時に、ある意味 "聖域" が失われてしまった
んじゃないかなとも思うんですよね。

例えばクラブ、踊る方のクラブですけど、が薬物の温床になっているから規制しようとか、
歌舞伎町を綺麗にしようみたいな活動ってリアルにあるじゃないですか。

ああいうのって結局、綺麗にしているようで、実際にはよりアンダーグラウンド
させちゃってるんですよね、犯罪とかそういうものを。

だから "聖域" って、奪っていくと今度はより深刻なものになっていくというか、
やっぱり適度な逃げ場所というか、"聖域" って言うべきなのかわかんないですけど
そういったものって大事だったと思うんです。
特に人が匿名であれる場所というか。

なので2ちゃんねるはまさにそういう機能としてあったんだろうなって思うんですね。

別に今も昔も素晴らしいっていうことでもないんだとは思うんですけど、
ただ1つ言えるのは、割とインターネットの黎明期のスタートアップって、
インターネットっていう素晴らしいテクノロジーがやってきたと。
で、これによって、例えば肌の色を超えて、言語を超えて、国を超えて、
性別を超えて、年齢を超えて、もう全ての人たちが繋がれる世界が
やってきたんだっていう、そういう世界を作っていくんだっていう、
希望に満ち満ちていたというか、理想がすごく高かったというか。

でも実際じゃあここまでインターネットが普及した結果、何が起きてるかっていうと、
人間って結局分かり合えないってことが可視化されたというか、分かり合えないことが
分かってしまった。
Twitterを見ても分かりますけど、左だの右だのでお互いに石を投げ合ってしまっている。

いざ理想とする社会が実現してみるとやっぱり理想は理想のまま、現実は違ったっていうか、
それを突きつけられたっていうのが今なのかなっていう感じがちょっとします。

やっぱりAIの進化が凄くて、本当にAIによって既に仕事が奪われ始めてる人もいたりとか、
あとは表現の世界でももう本当に生成される作品、画像とか本当にリアルなものだったり、
作品レベルもどんどん高くなってきたりしていて。

このAIっていうのが台頭していく中で、改めて人間が「人間とは一体何なのか」っていう、
「人間の原点に帰ろう」っていう強い動きが生まれるんじゃないかなって思っていて。

この先AIが台頭していく中で、「人間中心」っていう強固な、過激な活動みたいなものが
生まれる可能性は全然あるなって考えたりします。

ここから先はちょっとSFっぽくなってきますけど、実際インターネットに接続された
サングラスみたいなものとかも普通に出てきてるわけですし、これが普及していくと
スマホを持たずに常にインターネットに通じた世界を見るような世界にもなっていくし、
最終的には脳が直接ネットに繋がるような世界もあり得るわけで。
実際にイーロン・マスクとかそういったものを開発してたりもしますし。

そうなっていくともう、もはや「リアルとは何か」「インターネットは何か」っていう
そこの境目は、本当に消えてなくなっていくんだろうなって感じてはいます。

家入一真