記憶

最近の映画には成長神話みたいなものがあって、そのほとんどは成長すれば何でもいいと思ってますね。

だけど現実の自分を見て、お前は成長したかと言われると、僕なんかも何かこの60年、ただグルグル回っていただけのような気がするんです。
せいぜい自分をコントロールすることが前より少しできるようになったぐらいでね。

だから成長と恋愛があれば良い映画だっていう下らない観念をひっくり返したかったんです。

自分がやってきたことをきちんと全部覚えている人はいないでしょう。
でも銭婆が「一度あったことは忘れないものさ」と言うとおり、人間の記憶というものは、思い出せないだけでどこかに残っていると思うんです。
千尋もどこかにあの世界の記憶を残しているはずです。

僕はこの映画を作っていて、小学校三年生の遠足で浄水場に行った時のことを思い出しました。
大きな地下の水槽を見て、しばらくその絵ばかり描いていました。

人間一人ひとりの体験とか記憶は、DNAの記憶なども含めて、得体のしれない所で繋がってるんだと思います。

僕はあの世界が全部夢だったというつもりはありません。
あれは本当にあったんだということを表すために、最後のシーンで車の上に葉っぱが積もっていたり、
銭婆がくれた髪止めが、千尋は気づいてないけど髪に残ってる、というふうにしました。

そうでないと寂しいでしょう。
せっかく自分を認めてくれそうな人達と出会えたのに、千尋はその場所から離れなくてはならなかった。

もう少しいたら、カエル男たちや湯女たちともさらに知り合えただろうし、
良い人、下らない人、色んな人がいることにもっと気付くことができたはずなのに、
それを全部捨てなきゃいけなかった。

この映画は、実は切ない話なんです。

宮崎駿