寛容のパラドックス

「寛容のパラドックス」については、あまり知られていない。
無制限の寛容は確実に寛容の消失を導く。

もし我々が不寛容な人々に対しても無制限の寛容を広げるならば、
もし我々に不寛容の脅威から寛容な社会を守る覚悟ができていなければ、
寛容な人々は滅ぼされ、その寛容も彼らとともに滅ぼされる。

この定式において、私は例えば、
不寛容な思想から来る発言を常に抑制すべきだ、
などと言うことをほのめかしているわけではない。

我々が理性的な議論でそれらに対抗できている限り、
そして世論によってそれらをチェックすることが出来ている限りは、
抑制することは確かに賢明ではないだろう。

しかし、もし必要ならば、たとえ力によってでも、
不寛容な人々を抑制する権利を我々は要求すべきだ。

と言うのも、彼らは我々と同じ立場で理性的な議論を交わすつもりがなく、
全ての議論を非難することから始めるということが容易に解るだろうからだ。

彼らは理性的な議論を「欺瞞だ」として、
自身の支持者が聞くことを禁止するかもしれないし、
議論に鉄拳や拳銃で答えることを教えるかもしれない。

ゆえに我々は主張しないといけない。
寛容の名において、不寛容に寛容であらざる権利を。

カール・ポパー

開かれた社会とその敵 プラトンの呪縛(上) 第一巻 (岩波文庫 青N607-1)