猟師になったきっかけ

東京で忙しく働いて、居酒屋行って冷えたハムカツとか、ロケ弁でも食べ物の選択もできない中、
日々弁当食って、いやこれに感謝しろって言われたって、感謝ってなんだとか、何食ってんだとか、
そもそも元が分かんないし、僕に足りないのはそういう原始的なことなんじゃないかなって思って、
自分で肉を獲りたいって言って猟師になったんです。

ものすごく残酷です、狩猟は。
やっぱり初めて獲った時はもう頭も真っ白だし、手もビリビリ震えて、でも目の前に鹿が落っこってきて、
自分が撃ったんだから早く止めないとと思って、ナイフ持って走り寄って、刺す。
でもここで刺していいんだろうかとか思って躊躇してると、師匠が「早く!」とか言って。

でもそれで、自分が獲ったんだから、ちゃんと綺麗に食べないとって思ったその日から、
やっぱりもったいないことはしちゃいけないなとか、もったいないってなんだろうとか、
感謝ってなんだろうとか、すごく考えるようになりました。

忙しいとやっぱり煩わしいというか、考えることは多いんですけども、
不平不満を言わないようにしようとか、愚痴を言わないようにしようとか、
人に対して攻撃性を持たないようにしようとか、何か「自分だったら」って考える機会を、
自然での生活っていうのは与えてくれるので。

でもまだまだ答えは見つからないし、生きるってなんだろうって僕も考えようって思います。

残酷だけど、獲れた喜びもあります。
もう血が沸騰するかのような、嬉しい、やっと獲れたっていうのと、
でも、かわいそうって思う気持ちは沸き起こってくる。

その話をご高齢の長老みたいな漁師さんにしたら、
「そんなこと言ってる生っちょろい奴は連れて行きたくない」
って言われたり・・・考えることは多いです。

東出昌大