人生って運だよな。
その通り
人生うまくいかなかった奴も結局は運の問題運を人様の力でなんとかできると考えるなんておこがましいので、
成功した奴も失敗した奴もその人生を受け入れなさい
それにいつ気がついて謙虚に振る舞えるかだよね。
でも成功者への「運のおかげ」という棍棒は自分にも返ってくると思うんすよね
成功者が成功したのは運のおかげなので、その事実を受け入れ謙虚になりなさいというと
失敗者が失敗したのは運のせいなので、その事実を受け入れ謙虚になりなさい
とも言えちゃうよね
救いの手が差し伸べられるかどうかも運なので、
失敗者の中でも救われる人と救われない人が出るのも仕方がなくなるし
全て運要素に落とし込んで我慢しろと言ってるわけではないよ。
(ワザと極端に言ってるのかもしらんけど…)大人なら社会の認識と言動に気をつけたほうがいいと思うだけ。
気にしたくないやつは気にしなきゃいい。
それの何が問題?ただの事実でしょ
助けろだのお前らのせいだだの言ってくるうるさい弱者がいるじゃないですかぁ
運で弱者になっただけだから黙ってて欲しいんすよね成功はしたけどそれもただの運だし成功者とはいえ運には抗えないから
あーだこーだ言われても困るんすよ
阿呆?運は掴むものでしょ
運を掴むには試行回数を増やすほかないでしょ
運に恵まれなかったらもう一回!もう一回!単純な話まあ方法が間違ってたら意味がないけど。
知能に恵まれなかった人たち……
100万回やっても上手く行かない、それが運なんよ
運は確率論じゃなくて決定論なんすよ
はあ、独特な世界観してますなあ
運命論者とは反りが合わないので、すまんな
弱者男性が弱者な上に救われないのは
成功者のせいでも他の弱者のせいでもなく、
ただ運(神)が決めたこと
>阿呆?運は掴むものでしょ
これもこれで闇深い
これ言ってる人だいたい自己効力感がある人じゃないからね
下記と主張が違うだけで、マッチョ気取ってるだけだからな>運で弱者になっただけだから黙ってて欲しいんすよね
>成功はしたけどそれもただの運だし成功者とはいえ運には抗えないから
>あーだこーだ言われても困るんすよまぁやらないよりはやった方がいいし、
世界は闇じゃないのでもっと人を信じてほしいが、
何事も運任せなので自分を責めすぎないことだな
横だがそれって運じゃなくて努力でなんとかなる世界って話になることない?
そりゃすぐ成功する奴はいるとはいえ、
最終的に失敗したのは試行回数を増やさなかった個人のせいってなることない?
さあ?
試行回数が足りなかったのかもしれないし、
運が無かったのかもしれないし、
そもそも方向性を間違えていたのかもしれません。本当に努力が足りないだけのこともあるでしょうし、
そうでないこともあるでしょう。個々の失敗を包括的に説明できる便利な命題はありません。
ノータリンほどそれを求めますが。私が言いたいのはただ"運"(もしくは偶然)が何事にも関わってるということだけ。
娑婆の仕組みのおはなしです。
確率論的運だと、努力で覆せる可能性が出てくるし
成功者も数の大小はあれど何度か試行したという努力の要素も出てきちゃうから
単純に謙虚になれとは言いにくくなるよな逆に試行回数増やせば貴方も成功したはずなのにやめたのは貴方ですよね、
と切り返される恐れもある
その"切り返される恐れ"は意味不明。
>試行回数増やせば貴方も成功したはず
などという保証はこの世に存在しない。
1%の確率で成功する行動を1万回やっても成功は保証されない。
前提が間違ってるでおわり
だから結局世の中決定論的運に支配されてるってことになりませんか?
となるとどれだけ成功者が謙虚になっても弱者を救えないし、
弱者が弱者なのも決定論的に決まったことってなりませんか?
神はサイコロを振るぞ
何事も運だが願うことはできる。
何事も願わなきゃ何も始まらないし、
厳しい状況下でも『幸せになる』と決意することくらいなら
だいたいのケースにおいてできる
>結局世の中決定論的運に支配
と述べているために、
運とは言うものの、行動の結果が決まっているという認識があるようだ。
そりゃただの運命論だ。運命論(成功/失敗は保証されている)の主張は
自由意志信仰(成功/失敗は保証されていない)の認識に挑んでも無意味。
両者平行線を辿るこの主張を"この世に保証はない"という論とぶつけても
面白い結論は一生出せないだろう>となるとどれだけ成功者が謙虚になっても弱者を救えないし、
>弱者が弱者なのも決定論的に決まったことってなりませんか?こういう結論に至るので運命論は嫌いだ。
その感覚がわかるからこそ、自分はよく成功者を叩くときに使われる
「成功したのは努力じゃなくて運」というフレーズの危うさが気になるんすよね運命論的解釈だと成功者への批判より失敗者への救いのなさがしんどいし、
だからといって確率論的解釈しちゃうと結局試行回数増やせばいいだけだから
運じゃなくて努力じゃん、といった感じで下手したら本人も知らずに
努力主義に転がる恐れもあり本末転倒になる、他にも基本確率論だが成功するまでの試行回数の大小の差があるという結果に対して
運と言っているならその結果をもたらしたのは確率ではなく決定論になるので
確率論じゃないよねとも思う一見使いやすいフレーズだからよく使われるけど、よくよく考えると使いにくいし
逆に「俺は失敗する運命だ」とか
「試行回数増やせば良いのに俺はそれができない」とか
自分に返ってくる言葉になる可能性が高い言葉だから
下手に使わない方が良いと思うんすよね成功者は運の要素もあるが努力で勝ち取ったものもある、
その運の要素の部分だけ世間に還元してくださいな、
って程度が良いのではないかと
なら試行回数増やせばいいだけですよねって努力主義になりませんか?
別増田が書いた下記でも理解が難しかったみたいだし、
>1%の確率で成功する行動を1万回やっても成功は保証されない。
>前提が間違ってるでおわりどう説明しても理解しなそうだから、もっと直感的で日常的なこと書いてみる
極端、何もしないで寝てるだけで億万長者にはなるんだよ。
それは、誰かがくれるものかもしれないし、宝くじかもしれないし、落ちてるの拾ったりかもしれない億万長者になれる時はなれるので、
当たりクジが絶対に1つ入っている抽選器(外れクジは一度排出したら抽選器に戻されないタイプ)を
空になるまで回す必要性すらないしかし、その逆に、ダメな時は何したってダメだ
キャンプ行くだけで死ぬし
(クマや異常者や悪天候ではなく、ナラ枯れした木が突然倒れてくる)
エレベーター乗るだけで死ぬし
(ドアが開いたのでいつも通り乗ろうとしたら、ハコが来ていなくて転落)
道を歩くだけで死ぬし
(車や異常者ではなく、空から何かが戦争以外で落ちてくる)
家で寝てるだけで死ぬ
(火事・地震・異常者ではなく、平均的な住宅価格が1億を軽く超えている地域の
コンドミニアムで床が抜けて死ぬ。例:米国のサーフサイドなど)成功がどうたら以前にマジで "たまたま生きている"だけなんだぞ、我々は
いい人(徳の高い人)になりてーなとはすごく思ってるし、それが人生の目的だけど、
善行をすることは "たまたま生きている" 我々のラッキーを補強してくれるものでは決してないのだどんなに勤勉でめちゃくちゃいい奴でも死ぬ時は理不尽に死ぬ、
この世は公正世界仮説で出来てはいないそれは辛い状況を受け入れろという意味ではなくて、
上級国民でもエリートでも善人でも、先進国の高級コンドミニアムで寝てるだけで死ぬ
(戦争でも地震でも火事でも殺人でも老衰でもない)という現実を人力でどうにかすることは不可能だが、
絶対にハッピーになると決めることだけなら出来るということです、
逆にいうとそれ以外に人間にできることないです、マジで