童夢もそうだけど、神作画がなければ、何も成り立たないんじゃないかと思う
酷い絵でもデスノートならストーリーと、その恐怖みたいなものはまだ伝わると思うんだけど、
大友のあの手の漫画って、正直、なんか中身が感じられないんだよね、空洞というか、空洞だからこそ、神作画が活き活きしてくる…
あー、まあ、そんなこといったらエヴァもそうだし、ツインピークスもそうだし、
謎があるように見せてるだけで、本当は謎なんてない、伏線の回収もしないし、
論理的な考察も成り立たない、世の中に、エヴァの考察本が出たのを、庵野氏はアホだなぁみたいに思ってたようなこと言ってたし、
中身はない、重要ではないのかもしれない、それを覆すというか、逆手に取るぐらいの
神作画とか、演出があって、これは凄い伏線だ!と視聴者に思わせておきながら、
それをまったく回収しないまま、自己啓発セミナーオチに持って行った旧エヴァが、
正直自分は好きだし、アラフィフになってしまった今にならなおさら、
庵野氏が現実に帰れみたいな嫌がらせの実写映像混ぜたのも分かる気がしてる。
自分はそんなにエヴァに夢中になった方ではないと思うけど、
大学にはたしかに夢中になってる奴らがいっぱいいた気がする。個人的には、いや、だって、あれガイナックスでしょ?
やおいの山なし、オチなし、意味なし、みたいなものでしょ?
作品を鑑賞しながら、あ!あれは~のパロディだ!オマージュだ!と語り合って
悦に入るみたいな、そういうもんでしょ?エヴァだって、あー、ブルークリスマスだね、岡本喜八だね、とか言いながら
見るものであって、どうせ謎なんてない、下手したら最後に宇宙戦艦ヤマトが登場して、
超強引な解決をして大団円とか、そういう人たちでしょ、あの人たちは…
そんな風に斜に構えてリアルタイム視聴していたら、
まさかの自己啓発セミナーで下宿でつい大爆笑してしまって、
ただ、世の中的にはエヴァは一般人にもブームになってきていて、
多分、そういう人たちなんだろう、があのラストに怒ったらしくて、
怒ったからなのか、最初からの計画なんだろうけど、旧劇場版ができて、
現実に帰れ!って、そりゃそうだろ!って思った側だけど、でも、アラフィフになっても夢みたいなこと考えてたりする自分も同様だったんだな、
現実に帰らなきゃな、って思いました。あれ?何の話してたんだっけ…
(増田)
そんなこといったら宮崎駿映画とかもそうだよ
AKIRAに中身があるのかないのかは知らないけど(たぶんそれは大友さんにしかわからない)
AKIRAという映画の凄さというのは、あの熱気だと思う。俺達は新しいことをやるんだ!!
監督だけじゃなくてクリエイターたち一人ひとりが持つあの熱量の噴出が
全編クライマックスとも呼ぶべき異常なまでのテンション高さをあの映画の中で作り上げている。それは時代の空気でもあったんだと思う。
バブル景気という狂乱の時代にあって、日本人一人ひとりが今よりずっと陽気だった。決して順風満帆な人生でなかったとしても、どこか「どうにかなるさ!!」
そう思える楽天的な雰囲気に時代が満ち溢れていた。そういう時代の空気、真夏の夜に見る夢の如き時代のエッセンスが多量に含まれているのがあの映画だ。
時代の空気とクリエイターたちの圧倒的な熱量、
そのふたつが映画という媒体で重なり合い凝縮して結合し、
まるで原子が融合するかのようにエネルギーがほとばしる。その圧倒的な熱。
その「熱」がAKIRAだ。知らんけど。
エヴァの細かい設定はただの目眩ましの思いつきで、考察する意味は無いね。
けどもTV版エヴァと旧劇に流れている得体のしれない閉塞感、不安感、
話の通じなさ感は、何故か身につまされて心を捉えるものがあったんだよ……
それぞれが求めてる内容やそれに対応する見せ方がないだけでは?
デスノートみたいな精緻な論理で頭脳ゲームバトル感覚で悪に対する行き過ぎた正義
(この見方や言い方には色々とあるが)などのテーマをみせる作品を求められる場合もあればアキラみたいに普通の少年たちのそれぞれの心の葛藤が超能力の出現によって
地球規模の危機に肥大化していくようなドラマをくどくどしく説明せずに
内容を見せていくような作品はそれぞれ需要があるのでは?その傾向の違いを中身がないというのは野蛮すぎやしないか?
とはいえスパイダーバースやアーケインを見ると映像はすごいが(好みではない)
進撃の巨人やハンターハンターに比べたら話がおもしろくないなと思ったり
逆に究極的に好きな画が見れればそれでいいというときもあるから
俺も勝手なものだ
これ考えると「中身」てなんだっけ?てなるな。
アキラは絵が凄いのはもちろんだけど、設定やデザインを含めた世界観が凄いんだよね。
映画という事なら曲も凄い。デスノートみたいな話の展開の複雑さで魅せる物の評価軸で言ったら確かに
「中身が薄い」て事になるのかな?でも無いって事はないと思うけどね。
タイプが違うのは確かだよね。評価軸が違う。逆に言えば「話の展開の複雑さ」以外は全部凄いって感じの作品がアキラって感じかな?
そういう意味では全てを兼ね備えてるのが攻殻機動隊とかラピュタなのでは?
創作物においての絵的なものの力過小評価しすぎなんじゃないの?
デスノートだって小畑じゃなくてガモウ本人が作画までしてたらギャグ漫画扱いされてただろうし
ゴッホから画力を抜いたら何も残らん、みたいな話か?
ゴッホはむしろ本人のキャラで売れた人だろ
技術すごいで評価されると、あとで陳腐化してなにが良かったのかわからんってなりやすいよね
90年代のCGとか今見るとしょぼいしでもまぁアニメみたいに人力技術凄いはむしろ価値がでて
え?これ手で書いたんですかとかいう話になるから再評価されると思うけどね
大友のマンガは全部中身ないぞ
むしろあのノンポリ具合が時代にハマってた
むしろポリティカルやりたいならそれこそ「現実と向き合え」にしかならんわな
エヴァの話したかったんだね
AKIRAはアキラそのものは単に舞台装置で描かれるのは金田のグループを中心とした
青春ジュヴナイルもので、特に力を手にした鉄雄と金田の関係が変わっていくこと、
見た目すら変わってしまう鉄雄を軸として、自我とはなんなのかという話だと思ってるよジャンルとしてはsuper8とかstranger thingsとかstand by meだよ
これらについて、デモゴルゴンについてもっと掘り下げろよ!とか結局死体の謎って
なんだったんだよ!この映画は空っぽ!とか言いたいならまあそれはそれで...
そういうふうに感じるのあるよね
自分の中では太陽を盗んだ男がクソほどつまらなくて
なんであれが傑作邦画扱いされてるのか1ミリも理解できなかった
タクシードライバーとかもそう
なんかよくわかんねーかどスゲーってなもんあってもいいんじゃないの?
最近だとテネットとかそうだった おもろいかおもしろくないかではなくて
とにかくスゲーってなった
まあね 本屋にレモン置くだけの話でも教科書に載ったりするもんだから
アキラのアニメはアキラの漫画の「おまけ」なんだよ。
当時もそういう認識だった。漫画が本当にすごかったのに、その上アニメまで作ってくれんのかよって。
でもあの漫画の精緻な絵は動かせないよな、って言ってて、
で映画見てそう来たかってまた喜んだ。漫画と違うパラレルワールドだろ。
アニメだけ見るのはアンパンのガワだけ食って中のアンを食ってないみたいなもん。
だからわからなくて当然
・金田が元気ない
・鉄雄も元気ない
・元気がないからみんなバイクで走らない
・暗い
・作画よりタイポグラフィに力が入ってる時がある
・大佐がロリコン
・お婆さんに見える能力者のクローンを大佐が培養してる
・でもやっぱりお婆さんに見えるから大佐もテンションが上がらない
・「中止だ中止」って書いてある板が何枚かあって会議してる
・よく見ると鉄雄にロンギヌスの槍が刺さっている(特に意味はないけどみんなで考察する)
・「さんをつけてよ!!!!!デコ助……ウワァーッッッ!!!!!」
・アキラが第九を口ずさみながら登場
・「歌はいいねぇ」とか言っちゃうアキラ
・鉄雄とイチャついて同人誌を大量に作られるアキラ
・アキラすぐしんじゃう
・アキラしんじゃったから人類補完計画が当然始まる
・ミサトさんがいないから反オリンピックデモのおばさんにキスされる鉄雄
・斎藤環とかが考察本をいっぱい出す
・映画化決定
おわり。