(今までの映画は)解決可能な問題に限定して、とりあえずその課題をクリアするということで良くてね。
それが映画の枠内だと。それでやると、現代で僕らがぶつかっている問題とは拮抗しないという結論が出たんじゃないかなあ。
だから、解決可能な課題じゃない、解決不能な課題を作るってね。
こりゃあ胃に良くないですね(笑)だから解決可能な映画を作ってる奴見るとね、ノーテンキな奴めと思うと同時に、羨ましいですよ。
僕らは映画を作りすぎちゃったんだなぁと。
今まで僕が作ってきたものは、基本的に守るべき人たちがいて、
その人間達に支持されている人物が主人公だったんです。でも今回は違う。
主人公には守るべき村や、守るべき何かが無いんですよ。要するに、露骨にはやってませんけど、はっきり”お前はいらない”と言われている人物なんです。
今度の映画を、この世の中に生きていて、いわれのない、不条理な、
肉体的にも精神的な意味も含めてババを引いてしまった人間達が、
どういう風に感じてくれるのだろう、と。それは、今の若者の共通の運命であるはずですから。
そういう人物を主人公にして、それがエンターテインメントとして受け入れられるのか、受け入れられないのか。
それは作ってみなければわからない。
期待に応えようとしちゃあ、いけないんです。
例えば、自然保護に熱心なジブリとかね(笑)
そういう期待がすぐに膨らむんですよ。
やたらに癒しの、やさしい映画を作ってくれるジブリとかね(笑)そういうことが言われ始めると、それを裏切るようなもんを作りたくなってね。
普通、1回期待を持っちゃうと、その期待を変更しようとしないですよね。だけど、基本的に裏切り続けるしかないんですよ。
そういう、支持してくれる人達の鏡に照らして、自分を見たらお終いだって。
今までは明るい部分で映画を作ってきましたけど、これは明るい部分で作ってませんから。
鈴木プロデューサーにも言ってますけど、これでジブリの幕を引くことになってもいいということで、
やらせてもらってますから。『ナウシカ』とは全く違いますよ。
全然違うものをやっているんだという覚悟は物凄くある。『ナウシカ』では難しいことを散々言ったから、今回は一切言ってないんです。
主人公に、極力、立派なことは言わせなかった。
これで人間いいんだろうかとか、何でそんなバカなことをやるんだとかね、そういうことすら言わないように。
”森を守ろう”と一言でも言った途端に、全部手垢にまみれたものになってしまう。
それは分かり切っていることだから。そういうことで作ってるんじゃないんだと。
なんか偉いことを言った少年が見事に達成しました、みたいな話じゃ全然なくて。ようやくこれで生きることができる、これからね、タタラ場のこととサンの間に入って、
切り刻まれながら生きるしかない。結局、何も解決していない。
でも、主人公はここで生きていくことを決めたんだ、と。……生きるって、そういうことですよね。
(宮崎駿)