原因のトップは、もうダントツで「過干渉」。
ま、「過保護」か「過干渉」だよね。
それに尽きるって感じかな。
根っこは全部そこなの。
で、そこからこう広がっていく感じ。ま、それで言うなら「感情のキャッチボールができない」
それと・・・言い出したら結構あるな。
そもそも論になっちゃうんだけど、圧倒的にさ、子供と親で世代が違うわけじゃん。
てことはさ、時代が違うからさ、少なからずね、価値観が違うよね。その価値観の違いを受け入れられないというか、そもそもその前提っていうのを
親が受け入れてない。受け入れてないというか、理解できてないっていうかさ。もう絶対抗えないでしょう? 時間は。
「そういうものなんだ」「そもそもそうなんだ」っていう前提がない。
例えばさ、昔は子供が遊ぶって言ったら、バットとサッカーボール持って公園行ってとかさ、
そういうのが普通の遊びって感覚があるわけじゃん。だけど今の子たちはさ、公園にゲームを持ってくわけじゃん。
そこにこう、自分の時代の価値観があるからさ、疑問が生まれちゃうんだよね。
生まれちゃう人が多いんだって。「公園行ってゲームやるの?」みたいなさ。でも、子供がやりたいことを集まってやってるっていうこと自体は変わってないでしょ?
そこの部分だけは変わってないんだけど、自分の良しとする遊び方から考えちゃうから
疑問が生まれちゃうんだよね。
で、その疑問が、ちょっとややこしいけどさ、そもそもの親子の信頼関係があれば、
全然子供に「なんで公園でゲームやるの?」「楽しいから」「みんな集まるから」
で、それで終わっちゃうんだよね、何事もなく。だけど、さっき言ったように「感情のキャッチボールができてない」から、
そもそもできてない人が多いから、否定されてるってとっちゃうんだって、子供が。「あ、お母さんお父さんは、これはダメなことだ、いかんことだって思ってるんだな」
って伝わっちゃうんだよね。
だから、親御さんはそんなつもりはなくとも、
自分の中に「ジェネレーションギャップがあって当たり前だ」っていうのがなければ、
単なる疑問でさえも、否定に繋がっちゃう、っていうのが往々にしてあると思う。だから順序で言ったらやっぱり、ちょっと表現としては大きな表現になっちゃうけど、
「信頼関係が深くない」っていうとこだよね。
そうなると、なんで信頼関係ができないのかってことになるじゃん。
ま、確かに過干渉で、頼まれてもいないことやるとかさ、子供が必要な経験を、
言い方悪いけど奪っちゃう。結果、その失敗でしか学べないことも学ばないから、
要は「痛みを知らない」わけじゃんか、子供がね。俺の中では、痛みを知ると、労りを学ぶ。
痛みを知ることで、自分がこけてすりむいて痛かったことで、人がすりむいたのを見て
「ああ、痛そうだな」って思えるわけじゃんか。
だからその0地点の経験がないからさ、1が生まれないよね。
過干渉は往々にしてあるから、子供が経験ができず、良い悪いどっちもね、経験できず、
その労る部分ができない。うちで預かるような子たち、引きこもったり不登校だったりの子たちって多分ね、
心閉ざしてるとか、感情が全然ないみたいに、見えちゃってると思うんだわ。
親御さんたちにね。だけど、そうなっちゃったのは、「そもそも、その経験を奪っちゃってない?」
っていうとこに行きつくわけよ。だから大枠で言うと、過干渉に尽きるってことになるんだよね。
大きいと思うよ、本当に。
過干渉って言ってもさ、これ「過干渉か過干渉じゃないか」の線で言えば、
いわゆる過干渉と言われるレベルの干渉度合で親が子に接するとするじゃん?だけど、それを「自分がすごい大切なんだ」「本当に大切にされてる」「自分のためを
思ってやってくれてるんだ」って純粋に受け取ったら、これ過干渉にならんわけよ。だからそもそも、子供の器というか、その器が大きい小さいは問題じゃないんだけど、
器に合ったものを親が贈れてるか、ギフトできてるかっていう部分もあるし、
原因なんかもうキリないけど、とりあえずダントツで過干渉だよね。
で、今話したように、そこからの派生で出てくる問題はめっちゃでかい。
多分全く放任主義で育ったとするじゃん、仮にね。引きこもれんくない?
だって引きこもったら飯もない何もないってなっちゃうわけじゃん。だけど、自分が何もせんでも、何もかもある状態だからさ、だから引きこもれちゃうよね。
だからやっぱり過干渉だと思うよ。
(「自分が過干渉をしてる」ってことに気づいた時に、まずすべきこととか、解決策として出せるものってありますか?)
色々あるけど、一番わかりやすいのが、これよく相談にくる親御さんにも言うんだけど、
「頼まれるまでやらない」ってこと。何事も。もう明らかに腹減ってて、もう見てて「うわ腹減っとんだろうな、喉かわいとるだろうな」と思ったら、
今までは「なんか飲む?」「なんか食べる?」って言うわけじゃん。それを、向こうが言ってくるまで待たなあかん。
これが難しいのは、基本的には「頼まれるまでやらない」なんだけど、
もうそれこそ痩せ細っちゃって、1週間も10日も飯も食わん水も飲まんっていうような状態になったらダメだよね。となると、「過干渉」と「命」の線引きをしなあかんくなるわけじゃんか。
生存の線引きね。ここは明確に俺は言えない。その子の体力もあるし。
だからそこはさ、親御さんが判断せざるを得ないんだけど、多分、親御さんから見て、
「ああもうダメだ、もうなんか食わせよう」ってなるラインの3日後ぐらいに俺のラインがあると思う。
多分ね。
だからそういった対策というかさ、順序で言ったら、まず「子供に話すこと」だわ。
「あなた今苦しいんでしょう」って。その不登校とか、そういう状態になっててね。
「そういう風に育てちゃってごめん」って謝った方がいい、まず。だから、お父さんはお父さん、お母さんはお母さんで、「自分たちが今すごくそれを勉強してる」
「あなたを苦しめたことを後悔してるから、勉強してる」。それでまずひとつ始めようと思ってるのは、「あなたから頼まれたら何でもやってあげる」
「けど、頼まれない限り、やらないって決めたからね」って、順序立ててちゃんと話はした方がいいと思う。
そこからスタートした方がいいね、まずね。もうそれに尽きるんじゃない。
で、ここからもね、また結構あると思うんだけど、親側と子側があるでしょう、大きく分けて。
親側は、そういう「過干渉だ」って言われる感覚・考え方を持ってるわけじゃん。考え方っていうか、なんだろう、心の傷に近いようなものを持ってると思うわ。
そこを自分で癒すしかないの、親はね。それをまず知ること。
「自分はこういう辛い経験があったから、子供にこの経験をさせたくないと思っちゃってるんだ」
とかさ、例えばね。
その方法は、カウンセリング行くなり、いろんな本読むなり、いろんな人に話すのがいいよね、さらけ出して、
他人からしたら、「え、そんなこと、何がどうなの」っていうのもあるかもしれんけど、それでもいい。とにかく気づいたままに残ってるその痛んでる心の一部分ね、そこを自分で認めてあげなあかん。
「俺は傷ついてるんだ」恥ずかしながら、例えば俺だったら今46で、例えば40年前、
6歳の時の経験で、「俺すごい今も苦しんでるんだ」って言ったらさ、
他人からしたら「40年前のことだよそれ」ってなっちゃうじゃんか。でもそれを言う。
言うことを聞いてるのは自分でしょう。
だって人生でさ、自分の言葉を一言一句もらさず聞いてるのって自分じゃんか。
で、その自分が言ったことで自分が作られるっていう部分めっちゃあるわけよ。だから俺が俺に対して「痛んでる、傷ついてること、ちゃんと分かってるよ」
「何とかしようとしてるよ」って自分に言いかけるぐらいのつもりでオッケーだからさ。だから、「人に言う」。
さっきも言ったように、カウンセラーのとこ行くとか、そういう会に行くとか、
多分めっちゃあると思うし、人に話す。
あとは、例えば毎朝、朝日を見てみるとか、毎日夕日を見てみるとかさ、
なんでもいいけど、些細なことでいいんだわ。寝る前にたった1つ、「今日誰かに感謝できることあったかな」とか、
自分で癒す、自分を癒すってことをやること。
継続することだよね。1を作っちゃえば、2なんだわ、次はね。
で、0の次の1っていうのが多分一番ハードル高いからさ、
1にすることをやるのが親側ね。
で、子側はと言うと、親が子にどうするかって話だよね。
「頼まれたことしかやらん」っていうのを続けていく上で、それでも子供は、
人に頼むってこと、人を頼るってことに、もしかしたら抵抗があるかもしれない。ま、ほとんどあると思うんだけど、ピンポイントで「お腹空いてる?何か食べる?」じゃなくて
「今どう?」とか、ものすごい抽象的でいいから、些細なきっかけは作ってあげてほしい。親ができるギリギリのラインがそこね。
それぐらいまでしかやっちゃあかんって意味ね。
例えばさ、子供が10mぐらいの落とし穴に落ちたとするじゃん。
そうしたら親はまずどうするか。ロープ探す、はしご探す、救助呼ぶとかさ、もう親が考えて助けようとするでしょ。
でも子供は「助けて」って言ってる?っていう話なの、まずね。だから見て、「今どう?」『苦しい』『怖い』
「そうだよね」「どうしてほしい」『助けてほしい』っていうとこまでが、
今の例えで言うとさ、そんなの絶対10mの落とし穴に落ちたら助けなあかんけど、
現実世界の中では、そのめんどくさいワンクッションがいる。少しずつ、自分の考えをまとめて、言葉にして、自分で発するっていう訓練。
その子に訓練させなきゃいけない。なぜなら、過干渉で子供の経験を奪っちゃったから。
それは取り戻さなあかん。
じゃないと、社会に出てさ、タイムスケジュールが分刻みで、8時から5時までね、
何やるか毎日書いてあって、その通りにやれば済むっていう仕事があればいいけど、
きっとそんなんあったらもうこれからの時代はAIがやっちゃうしさ。
それ以外の何かがいるわけじゃんか、この先ね。で、もっとと言うと、そういう「継続してやる力」が育ってないと思うから、
もうかなり難しい状況になっちゃうと思うんだわ。
だから遅くはないからさ、思った時点が、何かやってみよう、やろうって思った時点、
その時点で1番早い時だから、人生においてはね。
諦める必要ないし、ダメ元でやってみるっていうのが大事。そのためには、本当に小さな「自信になるの?こんなこと」っていうぐらいのことを
積み上げていくしかないと思うよ。
(氷室 優)