『どうして漫画家になろうと思ったんですか?』
この質問をされる度に答えに困ります。
「子供の頃から漫画を描くことが好きで、そのまま大人になっちゃった感じですかね?」とか
「勉強ができなかったもので」とか、いろいろ言ってみるのですが、どうも違う気がするのです。
僕は勉強が好きじゃありませんでした。
何の役に立つのかよくわからないのに、大人から「やれ」と言われ、それに従うのが嫌でした。『好きなことをして生きていきたい』
だけど、何をすれば「好きなことをして生きる」ことになるのかわかりませんでした。
両親に衣食住を与えられ、一人暮らしをしたこともなければ、働いたこともない。
あと数年で大人になってしまうことだけは決定していて、漠然とした不安だけがありました。
そんな高校生でした。
授業は聞いてもよくわからないので、学校では毎日寝ていました。
ある日、授業中にノートの端に描いた落書きをぼんやりと眺めながら、僕は決意しました。『漫画家になろう』
ただ、そう決めました。
「好きなことをして生きていく」とただ決めて、それを漫画に設定しました。
『好きなことをして生きていく』
そう決めた時、僕は漫画家になろうと思いました。
では、どうすれば漫画家になれるんだろう?
漫画を描いて某青年誌の新人賞に応募してみました。結果は落選。
まだ高校2年生でした。
美大に進学して上京し、1年で休学し漫画家のアシスタントになりました。
面接ではこう言われました。『2年経ったら人間扱いするから』
何もできない素人に漫画の技術を教えてあげるのだから、役に立てるようになるまで
最低2年は仕えなくてはならないそうです。それから2年、僕は人間ではありませんでした。
不眠不休で絵を描き続け、月の労働時間は400時間を超えました。コツコツと描き溜めた漫画を出版社に持ち込みましたが、まったく相手にされません。
漫画家を目指す僕を、両親はこう呼びました。「我が家の恥」
『これが僕の好きなことなんだろうか?』
やがて賞に入るようになり、読み切りが掲載され連載を獲得しました。
僕は「やっと人間になれたんだ」と思いました。
両親は僕が漫画家になることに反対でした。
激しく否定し、「恥ずかしいから親戚の前に顔を出すな」と罵りました。しかし、連載が決まると態度は一変しました。
毎月何十枚もの色紙にサインを求めるようになりました。
知り合いに配って自慢していたようです。配っていたのはサインだけではありませんでした。
僕が毎月仕送りしていたお金を兄弟や親戚に配っていたようです。
そうしたお金の使い方を注意すると、「子供のくせに生意気だ」と怒りました。両親にとっては、僕が漫画家であるか否かは重要ではありませんでした。
大切なのは自分たちの体面なのだと気がついてからは、次第に距離を置くようになりました。
夢を叶えたら幸せになれると思っていました。
お金を稼いだら幸せになれると思っていました。
(佐藤秀峰)